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身体に覚えこませる技術

以下、勝手な自論。物事を始めるに当たって、手順を書きとめたり暗記したりするのは効果的だ。だが、長期的なレベルアップを見込みだいのならば、それらを捨て、物事を理解した上で身体に覚え込ませる事が大切だ。いちいちメモを読み返して作業していたのでは効率が悪いし、手順自体を暗記したとしても、意味を理解出来なければ応用が利かず、似た物事を習得する際でも一から学びなおさなければならない。大体、意識下における人間の記憶力なんてそれほど大きくは無いのだから、暗記だけに頼るのは無理がある。成長過程で躓く人は、大抵こういう詰め込み作業をやってギブアップしているように思う。こういう人から見たら、例えば『Winキー+D』や少しテクニカルなコピペでも、魔法を使ったように見えるのだろう。自論ここまで。

こんな簡単なものでも真似が出来ない味に。

今日、久々に台所で晩飯の支度を手伝った。オカンの動きは実に無駄が無く、手順、知識、量、味など、全てに隙が見当たらない。長年の経験からくるものだろうが、全く迷いが無く、驚くほど美味しく仕上がっていく。そう、まるで魔法でも使ったかのように。

こと、料理に関してはド素人と言える僕。きっと母親からすれば非効率・不勉強に映っただろう。何せ『乱切り』というテクニックすら知らなかったのだから。自分で野菜をカットしても、どうしてもああいう良い感じにならず手間ばかりかかっていたものが、ものの2秒で解決した。

また、冷蔵庫にある材料で、どうやって献立を組み立てるかという発想にもハッキリとした差を感じた。何十年(と言えば怒られるか)というキャリアの中で身体に覚えこませた『料理データベース』からザッと献立を引き出し、可能な限り味と効率のクオリティを求めて仕上げ、口煩い男どもを黙らせる。これを無意識にやっている訳だ。勝てる筈が無い。オカンからすれば、冒頭に書いた自論と同じような事を実践しているだけだろうが。僕は主夫になるつもりは無いので、そこまで料理を極めようとは思わないが、それでも応用を利かせられる料理テクニックを学ぶ必要があると思う。出来ると出来ないとでは、圧倒的にコストの差があるからだ。

それにしても、これだけの事が出来るのに、何故に携帯やPCみたいな単純なものを触れないのか。料理のほうがよっぽど複雑で難しいんじゃないのかと思ったのだが、ふと気が付いた。『無くても生活が出来るから』か。多少不便でも、それが当たり前と思えば生活出来てしまうから、学ぶ必要を感じないのか。人間、興味を持てない事や生活に必要の無い事を勉強するのに苦痛を感じるからなあ。

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