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2011-11

危険なのはあの人

「面白い人を連れて行きます」と、P社のTさんが、踊るデザイナーのTさんを連れてやってきた。前々から話は聞いていたのだが、昼はデザイナーで夜はベリーダンサーという、かなり異色のデザイナーさんだ。実は同年代。

今までに作った作品などを見せて貰ったのだが、ベリーダンスのフライヤーなども作っているとあって、かなり派手。僕が最も苦手とするジャンルを、一番得意としているようだ。それだけではなく、様々なタッチの絵が描けるとの事。これはひょっとすると、大助かりなのではないか。

一つだけ心配なのが、自由人Kさんによる規格外のシモネタをスルー出来るかどうかという点だ。昼夜を問わず、想像を絶するような話(体験談含む)が常時出続けるという恐ろしい人だ。聞けば、僕の東京行きの日に横浜へ行く用事があったらしく、「一緒に行きたかったわー!」と言っていたそうだ。公共の場では勘弁して下さい。

医学の進歩で即リハビリ

オカンの見舞いに行ってきた。つい先日、手術があったのだが、4時間の予定が10時間になるという大手術だったようだ。その後の経過は順調すぎるくらい順調で、手術から3日目にして車椅子に乗る練習をしたらしい。今日も目の前で、車椅子に乗る練習をしている。そりゃリハビリは早い方がええんやろうけど、それにしても早過ぎないか。

骨折した足だが、昔みたいに石膏で固める事は無いそうだ。マジックテープで固定している感じで、着脱も自由らしい(勿論普段は固定だけども)。「医学の進歩を感じるわあ」とオカン談。僕もそう思う。折角なので、ノートPCでA君のイベント動画を見せてみた。ニヤニヤしていた。

8か月の仕事

お茶のKさんの仕事が完了。準備するものが多く、また新たなチャレンジもあって相当長期間の仕事となった。最初に会ったのは3月で、最初の目標は6月だった気がする。Kさんには本当に沢山手伝って頂いて、感謝の言葉も無い。今回の仕事は、僕一人の力では達成出来なかっただろう。

ただ、まだやり残している部分もある。このサイトは、ここからが本番なのだ。まずはKさんに元気な赤ちゃんを産んで貰って、それから一つずつ次のステップを踏んでいきたいと思う。

さらば34歳の強行軍

今日さえ終われば、やっと休める。10月の終盤からずっと続いていた、スケジューリングもクソも無い強行軍。ピアノの練習が出来なくなってから何日経ったか解らない。これほどピアノを弾かなかったのは、ジャズバーから逃げ出した25歳の頃以来だ。

今日はアクセサリのOさんが、バイトとして喫茶店の手伝いをしてくれる。ウエイトレスと皿洗いをやって貰えるだけで、僕の負担は半分に。安心していたら、結構まとまってお客さんが来られてバタバタする事に。Oさんが居てくれて相当助かった。これが昨日だったらゾッとする

18時。これにて僕の強行軍は終演を迎える。恐らくこんな無茶は、もう二度とやらないし出来ないだろう。数々の仕事のバッティング、オカンのケガ、東京でのイベント。プライベートも何もかも、全て投げ打って今日までクリアした。存分に、寝る。

強行軍は終わらない

6時半、京都駅着。身体のあちこちが痛い。昔はしっかり寝られたものだが、この歳になるとなかなか夜行バスも辛いものがある。本当の強行軍は、実はここから始まる。このボロボロの状態で、オカンが居ない喫茶店を、一人で切り盛りしなければならない。しかも2階ではギャラリーイベントを開催していて、お客さんが一番来やすい土曜日。これ以上ない位にフラグが立っている、この状況。

重い荷物を引きずって喫茶店へ向かう。倒れ込むように事務所へ。出迎えてくれたのは、光を放つ電源アダプタだった。引っこ抜いて、そのままオープン準備時間まで仮眠。だが、東京の興奮が残っていてなかなか寝付けない。倒れるぞホンマに。

10時再起床。喫茶店の準備を始める。思ったよりしんどくないな、と思ったが、立ち座りを繰り返すと眩暈がする。今日は極力動かないようにして接客しよう。出来るのかそんな事。

11時オープン。2階のギャラリーも、今日は染革のAさん一人だけ。頼れる人はいない。かかってこいや、と身構えたが、それほどドドッと押し寄せる事無く、ずっと途切れ目なくお客さんがやってくる感じ。あまり休めないが、これなら時間が立つのも早く感じられそうだ。

14時、眠気で気を失いかける。ほれやっぱり疲れてるんやないかい。とにかくここさえ乗り越えられれば、明日はアクセサリのOさんが助けてくれる。生きろ僕。お客さんは相変わらず途切れ目なくやってくる。間違い無く、一人店長新記録の客数だ。珈琲を頼むお客さんが多いのだけが救い(慣れているので)。と、そこへウチの兄がやってきた。一気に楽になったのは良いが、ムサいオッサン二人がカウンターに立っている絵は非常に何というか。喫茶店の店名は、僕らの名前を一文字ずつ取ったものなのだが、実際に二人だけでカウンターに立ったのはこれが初めてだったりする。11年目の珍事。

そのまま、どうにか閉店まで持ちこたえた。ギリギリ。本当のギリギリ。良くぞこんな無茶なスケジュールで耐えきった。さあ、事務所で残りの仕事を…

東京で会って、東京で別れる

8時半起床。窓の外は秋葉原。あー、まだ東京に居るんやな。ヴィアイン秋葉原のシングルはそれほど広くは無いのだが、とにかく綺麗で過ごしやすかった。ネット割引で6,000円弱だったし、駅もそれなりに近いし、サービスも悪くないし。エレベータが遅いのが唯一のネックか。階段があるならそっちを使いたいけど、同じ事を考えた人らで混雑するか。

さて、これからどうするか。こっちで会う予定だった友人達が次々に倒れてしまい、結局今日は一人行動だ。カメラ片手に徘徊して、素材集めでもしようか。取り敢えず、まずは目の前の秋葉原だ。ロッカーにクソ重たい着替え類を詰め込んで、いざオタクの聖地へ。

最近じゃこういう雰囲気のお店も少なくなってしまったようだ。僕が初めて秋葉原へ足を運んだのは高校の頃で、その時はまだ至る所にこういうお店があった。店頭に「盗聴器あります」なんて張り紙があって、これが秋葉原なのかと足がすくんだものだ。

その後、有名なゲーセンの『HEY』へ立ち寄ってみた。物凄い数のシューティングがあり、初代3画面『ダライアス』の隣に最新作の『ダライアスバースト』が置いてある。折角なので数年振りに怒首領蜂をプレイ。下手にはなってるけど、意外に身体が覚えてる。まあ結局5面で全滅しちゃったんだけども。ボムをまるごと抱えたまま死にまくって凹む。最盛期はA-Lで2週目の5面まで行けたんだけどなあ。

秋葉原の朝は遅いようだ。重たい荷物から、せめてノートPCだけでも別のカバンに移せないかとカバン探しの旅に移行したのだが、開いている店が見当たらず、結局ヨドバシに辿り着いてしまう。秋葉原まで来てヨドバシか。肩掛けカバン購入、随分楽になった。

そのまま宛ても無くフラフラ歩いていたら、目の前にカレー屋が見えた。あの外国人記者が絶賛したゴーゴーカレーじゃないか。関西では見かける事が無かったので、折角だからちょっと早いお昼にするかと思ったらPANDAさんから連絡が。「事務所来る?」、行きます。する事無くなりそうだったんで。

電車を乗り継いで20分ほど、ASTERIZMの本拠地へと向かう。駅を出てみたら、天谷君とスカイツリーが鎮座していた。スカイツリーでけえ。でも色気ねえ。ライトが入ったら、また違って見えるんだろうか。「これ倒れて来たら、助からんよね」と呑気な話をしながら徒歩数分、アジト到着。PANDAさんとならむらさんが居た。昨日の続きが始まる。

Mac2台にWindows2台、情報交換のスタート。昨日撮影した写真データをならむらさんへ。代わりに、イベントの動画データを貰った。これでいつでも一人反省会が出来る。正直観るのが怖い。そのままメシでも食いに行きますか、という話になって外へ出た。ついでにスカイツリーの撮影ポイントを紹介して貰えるとの事だったのだが、道中色々と面白いものが目に入る。

「あそこに何かある」とPANDAさん。どうやらスカイツリーの撮影スポットのようなのだが、近付くにつれ全員半笑いになっていく。東武鉄道が用意してくれた『スカイツリー撮影広場』だそうだが、何というか。すぐ側にある踏切の中からのほうが絶景なのだが、色々危ないので撮影禁止の看板が出されいる。どうやらその代わりとしてここを提供したみたいなんだけども。手前の花壇には、色褪せたプラスチックの造花が飾られている。もうちょっと何とかならんかったんか。スカイツリーとのコントラストがハンパ無い。

スカイツリーをグルッと回るように歩きつつ飯屋を探したのだが、結局目ぼしい店が見当たらず、辿り着いたのがお蕎麦屋さん。メニューを見たら、何故かカレーがあった。「NIGOROでは、会うと必ず一度はカレーを食う」というルールがあるとか無いとかだそうなので、結局4人ともソバとカレーのセットを食う事になった。すいまーせん、ざるそばとカレーのセット。

「はい、ソバのアイスね」

聞きなれない単語を耳にし、動きが止まる我々。東京じゃそう呼ぶんですかとPANDAさんに聞いたら、「いやいや、初耳よ」と。ですよね。勿論岡山でも関西でも聞いた事が無い。出て来たのは普通のカレーとざるそばのセットでした。普通に美味しかったです。この時撮影した写真が、まさかあんな使われ方をされようとは誰が思ったか。

お昼を頂きながら、昨日の反省会や演劇なんかの話をした。面白い所に共通点があったりして、エラい盛り上がる。ならむらさんは『惑星ピスタチオ』が大好きなんだそうだ。特に、膨大な説明科白を駆使して場面描写や登場人物の心情を表現する『パワーマイム』(Wikipediaより)が。良いなあ力技。

蕎麦屋でしこたま話をして、挨拶をしてPANDAさん、ならむらさんと別れた。2日間、本当にお世話になりました。このお礼はいずれ。天谷君は20時の新幹線、僕は0時の夜行バスで京都へ戻る予定なので、ついでやから観光していこうやと歩き出した。ここから近い場所と言えば、えーと、浅草か。雷門くらい行くのがベタでええんじゃない?

しくじった。とんでもない人出だ。平日やから大した事ないやろ、と思ってたら、マトモに動くのも大変なくらいの観光客が。着替えとPC、2つのカバンを抱えた僕、死にそうになる。

そういや、浅草に来たのも10年振りか。当時ここの並びに、日の丸鉢巻きを締めた個性的なマネキンがあってねえ…と話をしてたら、まだあった。いや、パワーアップしてる。当時は2体だった記憶が。良く見たら、右の奥にも『禅』って書かれた鉢巻締めてるマネキンがあるぞ。嫌いじゃない。

周りを見ながら、常香炉の煙を貰う天谷君。「これで頭が良くなるの?」、いや僕には何とも。その後、アツアツの揚げ饅頭を頂きホクホクになる。良いね、観光してるね。オッサン二人が平日に。ここでオトンから入電、オカンの足の手術は無事に終わったらしい。これで全ての心配事が無くなった。

浅草観光も終わり、さて、まだ時間がある。どうすっかと話し合った結果、一旦東京駅に戻って荷物を預けてから東京タワーに行こうという事になった。丁度夜景も観られそうやし、東京駅からも近いし、歩いて行けそうやし。と、これ、最後の1つだけ間違ってた。東京駅で「東京タワー行きたいんですけど、どっちに歩いたら良いですか?」と聞いて、引かれた。歩いて5分くらいやと思ってたんやけども。いやー、バスが出てて助かったわ。

この旅で一番の景色は、一番最後に現れた。タワーの上ではなく、足元。あまりの美しさに二人で呆ける。我に返って急いでカメラを取り出し、バッシャバッシャ撮影。三脚が無くても何とかなって嬉しい。いずれスカイツリーも多くの人に愛されるシンボルとなるだろうが、創業前の今は、まだこちらのほうが格上だ。良いものを見せて貰った。上のほうでも写真を撮ったんだけども、窓ガラスの反射や曇りで綺麗じゃなかったので割愛。展望台の窓辺に点字表記がある事を見つけた天谷君が、「これ…!」と驚いていた。数瞬してから意味が解り、僕も驚いた。

写真は謎のホラーシアターを覗く天谷君。

その後、近場で一緒に飯を食って旅の総括をし、東京駅にて天谷君と別れる。地元の友達と、東京で会って、東京にて別れる。それがたまらなく面白かった。この二日間、心底楽しかった。こんな楽しい目に遭えるなんて思いもせんかったよ。無茶なスケジュールやったけど、来て良かった。全部天谷君のお陰です、感謝してます。ほんなら、また京都で。

夜行バスに乗る為、重い荷物を抱えて新宿・代々木駅へ。出発の0時までは、まだかなり時間が残っている。そういや母校の東京校が新宿にあったよな、とそれを探しに歩きはじめた。この時、何故僕は荷物をロッカーに預けなかったのか。校舎が見当たらず、1時間以上かけて新宿駅を一周するハメに。足は棒のよう、肩は千切れそうになっていた。

何とか学校を見つけて、再び代々木に帰って来るも途中で動けなくなり、たまらずネットカフェに避難した。個室に入って椅子に座り、しばらく目を閉じる。

間もなく旅が終わる。終わってしまう。

沢山撮り貯めた写真を見ながら、TLを見ながら、まとめを読みながら。最初から最後まで、噛み締める様にしてこの旅を振り返った。こんな経験、もう二度と出来ないんじゃないだろうか。強烈な寂しさが襲い掛かってきた。この瞬間が、一番辛い。でも、きっとまた彼らが面白い目に遭わせてくれる筈だ。今回以上の、もっととんでもない面白い目に。僕も頑張らないと。

さようなら、東京。また会う日まで。

洞窟物語のウラガワ・イベントレポートについて

洞窟物語のウラガワのウラガワレポートは、2011年11月3日の日記に掲載されております。この日だけ上下の並びを変更して掲載しておりますので、上から順番にお読みください。各記事を個別に読みたい方は、以下のリンクからどうぞ。

また、このレポートは、イベントの中での補足やネタを紹介しています。イベントの中身そのものについては、既にまとめて頂いているメディア・有志の方が居られますので、是非ご覧ください。

洞窟物語のウラガワのウラガワ・イントロダクション

天谷君(天谷大輔/Pixel/A君)

専門学校1年の時のクラスメイト。作曲が出来、絵が描け、話も創れ、プログラミングまで出来る希少な人材だが、ゲームの知識にかなり偏りがある。天然で逸話には事欠かない。『洞窟物語』の生みの親。学生時代は大阪の寮に住み、卒業後は京都にて普通のプログラマとして就職。今年会社を辞め、世にも珍しい個人事業主のゲーム開発者となる。定期的に危ないネタを出す。神経衰弱は娘さんの方が強い。

PANDAさん

『LA-MULANA』を作ったNIGOROの本体である、株式会社アスタリズムの社長さん。天谷君とPANDAさんがtwitter上で座談会でもやる?という話をしてる時に、軽いノリで通訳やりましょうか?と声を掛けたらあれよあれよと言う間に東京へ行くという話に。非常にフットワークが軽く、『冗談音楽』が大好き。ゲーム歴は(他の3人と比べると)長くないとの事。NIGOROの3人と正面切って戦える程度に濃い。

ならむらさん

『LA-MULANA』を作ったNIGOROのボスで、GR3時代から知っているMSX信者の僕にとっては神様。本業はグラフィックデザイナーさん。2回目のPANDAさんとの打ち合わせで、普通に後ろに立っていた。ちょっと待って心の準備が。天谷君と並んで写ってる写真を見ただけでも失禁モノだったのに、まさか一緒に並んでイベントに出る事になろうとは。意外だったのだが、プログラミングはMSX-BASIC止まりだそうだ。ツッコミ鋭くボケも過激なオールラウンダー。全身全霊をかけてふざけるタイプの大人の人。

サミエルさん

同じく、NIGOROの神様。プログラマ/サウンド屋さん。イベント当日の楽屋でお会いする。非常にアグレッシブでマニアックな兵庫出身の漢の人。「アマ(尼崎)の小学校では、おもろいヤツこそが正義やった」等、あまりにも発言がコアで面白過ぎるので、後程まとめてご紹介する。バックスプレッドにスネークオプション派。

naoさん

天谷君の寮生活時代、隣の部屋に住んでいた超人でプログラムの師匠。ずば抜けた技術力を誇っているが、ルーツは意外にもMSX。学年が一つ上なので、最近までずっと一つ年上だと思っていたのだが、実は飛び級だったそうだ。学生時代、僕は数回しか話した事が無かったのだが、偶然僕の記事を読んでいてくれた事で記憶が繋がったようだ。


ナオクさん

洞窟物語のデバッガ隊の一人。ストーリー部分の補完で大活躍。実はこのイベントが開催されるまで、実際に会った事が無かった。天谷君も、ごく最近Skypeで初めて対面を果たしたそうだ。とても良い絵を描かれるので、てっきりそういう仕事をされているのかと思ったら、全く別の仕事をされていた。意外。

虎いさん

洞窟物語のデバッガ隊の一人。誤字脱字チェックとバグ検証で大活躍。恐らくデバッガ隊の中で一番クリア回数が多い。実は僕も天谷君も、ネットでしか会った事が無い。いずれデバッガ隊で集まって、BBSログを読みながら飲み会をやりたいと思っている。

BA2氏

デバッガ隊の一人で専門学校1年の時のクラスメイト。洞窟物語における爆発全滅エンドの提唱者。天谷君とはまた全く異なるセンスと世界観を振り回し、人々を笑いの海に沈めて来た男。言い回しの神。天谷君とタッグを組んで、『愛していると言ってやる!』『めがね』『死ね死ねギャラクシー』などを手掛ける。本職はプログラマ。

僕(Shuhei Miyazawa/くろいひと)

小2でMSXと出会い、そこからPCの世界へ転がり込んだ器用貧乏。プログラマ志望→サウンドへ逃避→何故かWebデザイナーとして細々生きてます。凡人です。『くろいひと』の由来は、学生時代に黒い服しか着てなかったから。色オンチなオタクだったんです。『めがね』の音楽は僕が作ってます。

晴海への置き土産

起床から数分後、僕はホテルの前をダッシュしていた。

嫌な予感がして目覚ましよりかなり早く目が覚めたのだが、しっかり的中、革靴が無い。今日のイベント本番で、ちょっとは小マシな格好をと持ってきた服と革靴。まだ2回くらいしか履いていない、あの革靴。新幹線に遅れそうになって、志津屋のサンドイッチ袋に無理やり詰め込んだ、あの黒のホーキンス。昨日晴海の夜景を撮影した時に、カメラの土台にして安定させた、僕の数少ないオシャレアイテム。

そう、そうなのだ。昨日あまりにも夜景が綺麗で、おかしなテンションで撮影し続けた時までは靴を持っていた筈なのだ。急いで撮影ポイントへ向かうも、そこにはゴミひとつ落ちてはいなかった。晴海の清掃優秀過ぎ。首をたれてホテルへ戻る。戻る際にコンビニでスーパーハードジェルを買う。これも持って来るのを忘れたのだ。

都合、僕は普段のカッコで出演する羽目に。まあそんなに変なカッコではないし良いか、と開き直った。あと、あの靴、やたら靴擦れしたしなあ。それにしても、橋の袂でビニール袋に入った革靴を見つけたりしたら、相当怖いやろうなあ。さようなら僕の革靴。元は全然取れなかったけど、東京で元気にやってくれ。

やってきてしまったお台場

革靴を失った今、この手に抱えている大量の着替えの内、半分は意味を成さなくなった。革靴に合わせたコーディネイトだったからだ。ただ重いだけの洋服と、1日数時間しか起動しない17インチノートPCという最悪にテンションの下がる組み合わせの手荷物を抱え、目指すは汐留、ゆりかもめ。

数えてみたら、お台場に足を運ぶのは実に10年振り。確かあの頃は、まだそんなに建物も無く、だだっ広い感じで、ネオジオランドなんかが健在だったと思う。随分建物が増えたなあと思いながら、お台場海浜公園より徒歩でパレットタウンへ。見覚えがあるような無いような、と思っていたら、ハッキリ記憶の残っている場所に辿り着いた。トヨタのショールームだ。一気にテンションが上がる。

懐かしいな…と思いつつ眺めていたが、目的地のカルチャーカルチャーはこのショールームの向こう側。そして、そこに通ずる道は、全て閉じられていた。自動ドアが動かなくなっているのだ。何だこれ。ここ封じられたら、どうやって向こう側に行くんだ。新手の嫌がらせか。半泣きで天谷君に電話。どうやら一カ所だけ、自動ドアが開くらしい。やっぱり新手の嫌がらせじゃないか。誘導されるままに移動するも、そこの扉は開かない。おかしい、おかしいと思って聞いてみたら、基準していた駅が、僕は『お台場海浜公園』、天谷君は『青海』だった。つまり、南北が真逆だったと。

程無く、カルチャーカルチャーの楽屋に到着。僕の人生において、最も『濃い』一日が始まろうとしていた。

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