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2011-02

無理は承知で

物凄い頭痛が来た。延々脳をフル回転させたツケが回ってきたのか、何度かうずくまりそうになった。昨日は昨日で20時くらいに寝落ちしたりと、ここ数日体調がおかしくなっている。これでも名古屋の大仕事が無事に完了し、負担はかなり減ったほうなのだ。3月の15日まで耐えられれば、一気に解放される、筈。その頃にはNikon D7000と一緒に東京旅行だ。生きていればの話だが。

夢のiPad2


良くあるフェイクネタだと思ったら、必要以上にクオリティが高くて泣けてきた。概ね酷いが、『実用的なアプリの数々』で悲鳴が出た。翻訳も必要以上に良い味を出している。

疲れてるみたいです

こんなに毎日夢を見るのは初めてだ。今日は原チャで走っていたら検問で止められて、揉めに揉めた夢を見た。車道と歩道の区別がつかない場所を走ってたら、そこは歩道だと停止させられたのだが納得行かず、署内で複数の警官相手にキレにキレまくっていた。どういう訳か、前職の上司まで出て来たのだがこれは何だ。昨日久々に前職の仕事仲間にメールしたからか。

自爆用の地雷作り

PCやネットの爆発的な普及で、誰でも色んなことが出来るようになった。ワープロ、表計算、チラシや名刺作成、果ては映像編集なんかも、ちょっと勉強すれば出来てしまう。本当に良い時代になったものだ。

だが、誰もが何でも出来る=誰でも良いものが作れる、という事ではない。どんな物事にも基本があり、ルールがある。それを知らずに趣味のレベルを越えることは危険だ。また、何故その基本やルールがあるかを考え、理解する事こそが大事だ。それが分からないと、とんでもないものや取り返しの付かないものが出来る可能性がある。自爆用の地雷が出来上がる訳だ。こういうケースを、過去何度も見かけている。

仕事を請け負う側としては、クライアントの指示に従順であれば、それで良いのかもしれない。だが、明らかに地雷だと分かっているものを作り、クライアントが自爆するのを見守るのが正しいのだろうか。クライアントを地雷原から引っ張り上げるのも、僕の仕事の一つだと思っている。

実写版マインスイーパー


タイトル名で既に負けた。動画を見て更に負けた。『フルメタルジャケット』みたいだ。

寝てすぐポックリ

寝てすぐに死ぬと言う、新しいパターンの夢を見た。夢ってのは大抵眠りの浅い部分で見るらしいのだが、起きる間際じゃなくて寝た直後に見たのは初めてだ。寝た瞬間の事を記憶しているのも珍しいのだが。

それにしてもここ数日の死んだり追われたりする夢の連続は何事だ。いやまあ、仕事の追われっぷりが現れているのだろうけども。普段の仕事と違って、メドが立ちづらい案件が幾つかあるのが引っかかってるんだろうなと。

SuperStreetFighter IV バイソンのテーマ

スーパーストIVより、M・バイソンのテーマ。ストII時代のBGMを、滅茶苦茶カッコ良くアレンジしてある。イントロが全部4分音符なのがかえって新鮮だ。ちなみにバイソンは、海外ではタイソンと名前が似過ぎているからという理由で、バルログという名前に変更されている(バルログ→ベガ、ベガ→バイソン)。

ついでなので、原曲も掲載。これはこれで実にシブい。舞台はラスベガスなのだが、全体的にダークな雰囲気があって大好きだった。キャラクター的にも悲哀を感じさせる部分がある。

そういや今年は、ストII誕生から丁度20周年だそうで…ちょっと待て、毎日ゲーセンで猛者達に対戦を挑んでいたのは、20年も前の話なのか。ハムカツ片手に、50円玉を山積みにして戦ったあの頃。当時の持ちキャラはブランカとガイルで、コンシューマに移ってからはザンギエフばっかり使っていた。そうか、もう『古き良き時代』の出来事なのか。

久々に青色申告

細かい字ともこれでオサラバか。

ずっと青色申告。延々青色申告。あれだけ早く準備を進めていたのに、結局全然手を付けられず2月末ですよ。もう日が無いという事もあって強い焦りを感じていたが、23時くらいにはどうにか全ての伝票を打ち終える事が出来た。後はチェックをして、出力して、それからどうするんだっけ。調べてみる。

驚いたのが、やよいの青色申告10に、標準で『立替金』という科目が無かった事だ。何と、自分で科目を作成しなければならないらしい。やり方がすぐ見つかって良かったが、ヘタしたら延々ここでハマってた可能性がある。『かんたん入力』も、未払金が直に入力出来ないなど、ちっとも簡単じゃない。結局普通に仕訳日記帳で入力したら、こっちのほうがよっぽど簡単だった。

こうやって伝票を見返すと、送料無料を良い事に小出しでバンバン事務用品を買っていた自分を殴り倒したくなる。こんなもん、一度に買えば入力が圧倒的に楽なのに。本当にアホだ。あと、当初クレジットカードをプライベートと仕事用で使い分けてなかったのも殴ってやりたい。お陰で要らん手間が増えた。その分、中途半端に簿記に詳しくなったが。

その視点は誰のもの

非常に興味深い対談。アーティストとクリエイターの違い、ってのも大いにあると思う。自分の思考は竹熊氏寄り(『自分が面白いと思うこと』)だと思っていたが、冷静に振り返ってみたら出来上がったものは赤松氏寄り(『他人が面白いと思うこと』)だった。新鮮な驚きだった。

何故そうなったのか考えてみたら、割とあっさり答えが出た。僕の視点が、ずっと他人側になっていたからだ。Webサイトを作る時は、他人が見て触ってどう感じるかを延々考え続けるのだが、それが当たり前になり過ぎていて、自分の視点と錯覚していたのだ。僕の視点は、僕のものでは無かった。

道理で、自分自身のモノを作ろうとすると苦労する訳だ。

探し物が見つからない所の騒ぎでは

癒されぬ街。

恐ろしく暖かいので、気分転換も兼ねて少しだけ遠回りして買い物に出掛けた。そうや、いつもの店へ服でも見に行こうと思い立って新京極へ。何か良さげなものがあるかなあと思ったら、店ごと無くなっていた。全くの予想外で立ち尽くす僕。これはあれか、また大阪心斎橋の本店へ通わんとアカンのか。折角近所で服が買えるようになったと思ったのに。

ならば靴はどうやと、手当り次第に靴屋へ入る。とある店の店員さんが、目があった瞬間「スケッチャーズのメンズ履いてる人、初めて見ました」と。凹むわ。探す間も無しか。そこいらの普通の店じゃ取り扱ってすらいないのは知っていたが、そこそこの規模の店舗に勤めるスタッフに、開口一番「無いわ」みたいな事言われたら、普通立ち直れんぞ。

その時脳裏に浮かんだのは、高校時代の思い出だった。GTホーキンスが爆発的に流行った時期があって、僕も欲しくてデカい靴屋へ行った時の事。大きいサイズが今ほど普及していなかった事もあって、わざわざ地域で一番デカい店まで来たのに、28cmありますかと聞いたら「ありません」と鼻で笑われ一蹴された、あの苦い思い出。こっちも好きで足デカくなっとるんちゃうわい。今は29cmやぞ。余計に状況悪くなっとるわ。

そもそも僕がスケッチャーズと出会ったのは卒業旅行でアメリカへ行った時。当時は聞覚えの無いメーカーだったが、履き心地の良さとサイズ展開の幅広さ(アメリカでは33cmまであった)で一発で気に入って購入したのが始まりで、以降10年以上足回りはスケッチャーズだ。かなり愛着がある。だが、心斎橋にあったスケッチャーズの店舗が姿を消し、既に関西圏では絶滅危惧種となりつつある有様。今更僕に、ナイキを履けと言うのか。

あまりの悲しさに逆上し、全く買う予定の無かった文字組版の本を2冊買って帰宅。所謂ウキウキショッピング感覚で訪れたのに、本当に泣きそうになった。

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