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2011-02

貴方の知らない麻雀





基本フリーのオンライン麻雀『雀龍門』より、信じ難いリプレイ集の数々をご覧頂こう。麻雀を知らなければ全く笑えないが、知っている人なら涙を流してしまうだろう。『友情大三元』はもう漫才としか言い様が無い。『台パンして店から金取れるレベル』、実に的確な表現だと思う。

お祝いと同窓会と

前職でお世話になった元同僚のTさんが、今年の春に結婚して埼玉へ越すらしい。事前にちょろっと話を聞いていたのだが、これまた元同僚である陶作家のHさんから「同窓会も兼ねてお祝いやりましょう」と連絡をくれたので、四条烏丸まで出て行った。夕方の四条烏丸は知り合いに遭いそうで怖い。

会場には15人ほどの人が集まっていた。前職でお世話になった元同僚Mさんとも、1年ちょっと振りの再会と、ふと横を見ると見覚えのある方が。まじまじと二人で顔を見合わせ、あまりの衝撃で固まった。前々職の組織で理事をされていた、漆職人のIさんじゃないか。何故ここにと尋ねたら、「いやー、Tさんとは昔っから仕事で付き合いがあってねえ」と。伝統工芸関係の繋がりがあるとはいえ、世間狭すぎ。

後は飲んで騒いで…と思ったら、大トラで有名なTさん、今日は車だから飲めないとか。主賓が飲めないとはどういう事かと。というか、Tさんは飲んで本領を発揮するタイプやのに、と思ったら真横で陶作家のHさんが壊れた。在職中にみんなで何度か飲んだけど、こんな壊れ方する人じゃなかったのに。たった1年で一体何が。

僕の横には元同僚のMさんが座っていた。Mさんはまだ職場に留まっておられるのだが、ここ1年で起こった様々な話(主に人事系)を聞いた。Mさんには申し訳ないが、改めて会社を抜けて良かったと思った。と言うより、Mさんが気の毒だ。明るいニュースは何一つ無かった。

そのまま3時間くらいワーワーやって、たらふく食って飲んで、みんなで陶作家のHさんを介抱しながら解散。Tさんのお祝いなのか何なのか解らなくなってしまったが、楽しかったので良しとする。

同僚のTさんとは、短い会社生活の中でも結構接する機会が多く、また年齢も近いと言う事で随分仲良くやらせてもらっていた。ストレスばかりが溜まったあの会社で唯一楽しく過ごせたのが、Tさんの所属していた小さい部署だった。K常務が居て、K課長が居て、会社の生き字引である恩人Tさんが居て、カメラのKさんが居て、ショップのOさんが居て、陶作家のHさんが居て、僕の前任者であるデザイナーのYさんが居て。あの部署に、僕はどれだけ救われた事か。Tさんとは同時期に退社したのだが、それ以降も随分お世話になった。本当に本当に感謝している。新天地でも頑張って、是非幸せな家庭を築いて欲しい。有難う。

Webデザインラブ

毎日毎日印刷物ばかり作っていた2月だが、ここに来てようやく本業のWebデザインに手を出しつつある。去年くぐった数々の修羅場のお陰で、印刷物から受けるプレッシャーは大幅に減ったのだが、それでもWebデザインと違ってやり直しが効かない一発勝負なので、疲れの度合が全く違う。やはり、Webデザインのほうが楽しい。

プロによる嫌がらせ合戦


ビリヤード(9ボール)のルールを知っている人なら、驚嘆した上笑いが止まらないプロのセーフティ合戦動画。平たく言えば嫌がらせ。3連続ファウルで失格となる事を逆手に取った、実にクレバーな戦いだ。

ルールを知らない人にざっくり説明すると、9ボールは1番から順にボールをポケットに落としていき、最後に9番を落とした人が勝ちというゲームだ。プレーヤーは手球を撞く時、毎回必ず一番小さな番号のボールに、一番最初にヒットさせなければならない。一度ヒットした後は、他のボールに当たっても、他のボールがポケットに落ちてもOK。なので、1番のボールにヒットさせて、その流れで9番にもヒットしてポケットイン、なんてのも勿論アリだ。ポケットインがあれば同じプレーヤーがプレーを続行し、一つも無いとプレーヤーが交代する。また、一番小さな番号のボールに最初にヒットしなかったり、手球がポケットに落ちたり等のファウルがあると、相手は好きな所に手球を置いてプレーを再開する事が出来る。

峠を越えました

こういうのが好き。

後少しで、年始から続いていた辛い日々も終わる。やっと終わりが見えたのだ。本当に、これでようやく一息付ける。どちらかというと、未知の技術に対するプレッシャーばかりがあったこの2か月だが、何とかクリア出来そうだ。お陰で出来る事の幅がまた広がってしまった。そろそろ深く掘っていきたいのだが。

3月は、是非自分の為の月にしたいと思う。ずっとやりたいやりたいと言っていた名刺&サイトリニューアルを、何としてもここでやらねばなるまい。あと、ゆっくり1日休みたい。それから、もう少し面白い日記を書きたい。

すき家のあるまじき発想

■強盗に優しいすき家
◎すき家
1.深夜は強盗に優しい一人体制。
2.強盗が逃げやすいように、出入り口近くにレジを設置。
3.強盗のために多額の現金をレジに溜め込む。(被害90万,70万,25万,25万)
4.強盗が短時間で現金を回収可能にするため、レジは一箇所のみ。
5.強盗が店員を脅しやすいよう、カウンター内部に出入自由。
 
×吉野家
1.危険が伴う深夜は必ず2人体制。
2.分散レジで、強盗にとっては現金を回収して回るのが困難。
3.カウンターを飛び越えないと内部に入れない。
 
×松屋
1.券売機による鉄壁のディフェンス。
2.「とにかく早く逃げろ」と徹底指導されているため、強盗の対象にならない。

こうやって見ると、松屋の券売機ってのはかなり優れてる。逆にすき家は、人件費と強盗による被害を天秤にかけて、人件費をカットするという人外の発想に至った訳だ。ブラックどころの話ではない。生まれてこの方すき家を利用した事は無いが、これからも利用する事は無いだろう。

ケモノ道の思考

僕の思考ルーチンは、多分ちょっと変だ。例えばひっ算で足し算をする時、普通なら一番小さい1の位から足し算をする。だが僕は、一番大きな位から足そうとする傾向がある。同時に一つ下の位を見て、繰り上がりそうな気配があれば先に繰り上がりを行ったりする、そういう怪しい計算の仕方をする。右→左に計算していくより、左→右に計算していく方が、何となく気持ち良いのだ。

方程式や因数分解の時もそうだった。習った方法でいちいち分解・整理して解くのではなく、問題を見た直感から『多分この辺』という数字を選び、しょっぱなからxやyに当てはめて、合わなければそこからxやyの数字をズラして答えを探すなんて事をやっていた。勿論公式は知っていたのだが、こっちのほうが答えが出るのが早いのだ。慣れた頃には一発でx,yともに当て嵌る事が多くなり、浮いた時間で公式を使って再検証、なんてこともよくやっていた。式を書かないと減点される事も多かったので。

何もこれ、数学だけの話じゃない。僕の思考は、どちらかというと通常よりケモノ道のようなルートを辿る事が多いようだ。直感で答えを見つけ、それを後から検証するという奇妙なやり方。今までに得た経験から導き出される『何となく』が、僕の思考を支えている。だもんで、たまにとんでもない部分同士が繋がってスパークしたり混乱したりする事もあったり。逆に回り道をして苦労した事も。

恐るべき愛・BASIC編

まんまベーマガなロゴマークのこのソフト、何とDSiでBASICを動かす事が出来るらしい。BASICとは何ぞやと言う方に恐ろしく端折って説明すると、昔のPCに当たり前に付属していた、小学生でも理解出来る初心者用プログラム用言語だ。

古き良き時代、雑誌に掲載されたBASICの投稿ゲームプログラムをひたすら入力し、遊び、改造し、それだけで飽き足らずBASICを勉強して雑誌へゲームを投稿、という良い循環が確かに存在していた。ここから大勢のサンデー(日曜)プログラマが生まれ、そして本物のプログラマへと進化していったのだ。かくいう僕は、サンデープログラマで終わってしまったヘタレなのだが。

ともかく、まさか携帯ゲーム機でBASICがイジれる時代が来ようとは。しかも通信で友達とデータのやり取りも出来るらしい。PCからのダウンロードなどは出来ないそうなのだが、そうしたらまたプログラムリストが何処かに投稿されたりするんだろうか。それを考えただけで興奮する、パソコン小僧だった僕。

開発元のブログに、このソフトに関する記事、というかBASICに対する思い出と熱い思い入れ満載の記事がある。僕らパソコン小僧にとっては涙モノの熱い記事だ。非常に解り易い内容なので、BASICを知らない方も、嗚呼こんな時代があったんだと読んで貰えれば幸いだ。みんながファミコンに勤しんでいた頃、僕は毎日こんな生活を送っていたのだ。

青色申告あと一歩

何とかようやく、青色申告の最終章に辿り着いたぽい。後はこれをプリントアウトして、領収書をまとめて、えーとどうするんだっけか。調べておくことにする。はじき出された数字を改めて見て、初年度にしてはマトモな数字になったと喜んだ。さてさて今年も頑張らないと。

下手は下手なりに努力しました

下手な字で申し訳無い。

バイクのMさんが喫茶店にご来店。Mさんは現在就職活動中で、エントリーシートを他の常連さんに見せてはダメ出しを貰っていた。僕も見させて貰ったが、気になる点が多かったので、僕が昔書いた履歴書を引っ張り出して見せてみた。11年前の写真が張ってある、学生時代に書いた履歴書だ。

僕はPC系の専門学校に通っていたのだが、当時はまだWordやExcelよりも、手書きでのレポート提出が圧倒的に多かった。というか、Word(入学当時は97だったか)自体持っている人が少なく、企画書だろうが何だろうが、手書きばっかりやらされていたし、それが当たり前だと思っていた。今となっては不思議がられるだろうが、手書きに慣れていたのだ。

しかもこの手書き、先生方に相当厳しく仕込まれた。書き込みは全てドローイングペン、書き間違いは数mm以上なら全面やり直しも当たり前。当然僕らは、恐ろしい程の緊張を持って課題制作にかかっていた。PC系の専門学校なのに、どんどん手書きが上達すると言う矛盾。だがこの時の授業は、今でも素晴らしく役に立っている。僕は字が汚くセンスも無かったが、とにかく『丁寧』の二文字だけを心掛けて課題を作成し続けた。

当然履歴書も手書きだ。まず各項目の上下にガイドラインを引き、そこに同じ幅になるよう、大きな文字で丁寧に書き込んでいく。文字の両隣だけではなく、上下の行にも気を付けながら書き続け、全ての項目を埋め終わったら全体チェック。その後、ドローイングペンによる清書を行った。2ページ分の履歴書を書くだけで、ヘタすると2時間もかかるという一見不効率な作業。だが、下書き無しで適当に走り書きしたものとは雲泥の差の仕上がりとなるし、何よりミスを極端に減らしてくれるので、効率的な部分もある。1枚仕上がれば、後はそれをトレースしていくだけだ。

これだけ丁寧にやれば、下手は下手なりに多少見栄えはするし、気持ちも伝わると思う。沢山の履歴書を書くのは本当に大変な作業だが、どうかここで手を抜かないように頑張って貰いたい。ちなみに、字の上手い人は1枚10分くらいで仕上げていた。あれを直に見た時は泣きたくなった。

ただこのご時世、100社受けて1社だけ面接まで漕ぎ着けた、なんて話も聞く。流石に100枚書いてボツを喰らいまくるのは堪えるだろうなあと。この辺りのシステム、もう少しだけ学生に優しくならないだろうか。まあ最近はネットでエントリーする所も多いようだが。

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