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2011-02

戦闘機と人間の限界

戦闘機に乗っての音速突破や超高高度飛行の異次元さを、実に解りやすく説明してくれている記事。パイロットの体験談が生々しい。Gの話なんかは解り易い上に恐怖感バリバリ。『根性で解決』ってのがまた。ジェットコースターでも乗るのがイヤな僕にとって、旅客機以外の飛行機はゲーム内での体験で十分だ。

『二択』

深夜に来客。先日の件を再確認させた。残念ながら現状はほぼ手詰まりで、例えるなら将棋の素人が将棋部をナメた上で飛車角落ちで望み、王手をかけられて初めて実力差を悟った、という感じ。既に詰みは見えているが、この後どういう展開になるかは本人次第だろう。

この日は結局、26時まで話をした。避け様の無い2択が待っている。

成長するボス Warning Foregone

これくらい。

仕事の合間にちょこっとプレイするのに向いている、古き良き時代を感じさせるフリーのブラウザシューティング。だが、見た目とは裏腹に内容はかなりハードだ。普通の縦シューかと思いきや、実は全方位シューティング。敵は1面にボスが1体しか出てこない。しかも最初は恐ろしく弱い。

だが、このゲームの面白さは倒せば倒すほどに装甲と砲台が強化されたボスがやってくる所にある。一番撃ち込まれた箇所を補強し、弾も散弾、誘導ミサイル、レーザー等、多種多様な装備を揃えてくる。ずっと正面からばかり戦っていると、どんどん正面の装甲が強化されて縦長になっていくし、全方位から攻めると岩のように成長していく。倒し方も戦略の内という訳だ。

また、このゲームではゲームオーバー後に様々な勲章が貰える。一定数の面をクリアしたら貰える称号から、特定のボスを倒す、残り時間1秒以内に倒す、5連鎖以上の破壊を行う、命中率が90%以上など、32の勲章が用意されている。また、勲章が一定数貯まると、特殊兵器が解禁されていくという仕組みだ。今の所、勲章は19個。特殊兵器は6つ目まで出ている。

今の所、12面くらいまでは何とか行けるのだが、特定のボスに当たるとかなりの確率でやられる。1プレイの時間が3分程度と短いので、気分転換にちょうど良い。ムキになる事も結構あるが。

どうもこのゲーム、『Warning Forever』というポリゴンシューティングをディメイク(リメイクの逆、新しいものを古い技術っぽく)したものらしい。コンテストか何かに出展されたようだが、面白い試みだ。バランスも良いし、作り込みも十分だと思う。

宮崎を守れ

口蹄疫、鳥インフルエンザと来て、火山噴火。農家や畜産家をはじめ、ここで生活を営んでいる全ての人の絶望ぶりは察するに余りある。気の毒とか、最早そういうレベルじゃない。少ない金額で申し訳無いが、義捐金を送ろうと思う。

秘境にはロマンがある

ふおおおおお。壮大過ぎる。こんなん実際に観たら失禁レベルだ。また写真が素晴らし過ぎる。まさに秘境、ほとんど映画みたいな景色だ。何となく『インディジョーンズ』や『アトランティスの謎』を思い出させる雰囲気がある。今の20台なら『トゥームレイダー』か。

笑いの進化

70年代 『カレー食ってるときにウンコの話するなよ!』
     王道。ウンコという下品なことばが公衆の場で笑いとして認められ始めた。
     お笑いが俗な文化として大衆に認識されてきた草創期。
 
80年代 『ウンコ食ってるときにカレーの話するなよ!』
     あまねく広まったギャグをあえて誤用することにより、
     聴衆に「違うだろ!」と”つっこませる”。
     一人一人がボケであったりツッコミであったりする、お笑い文化の一般への浸透。
 
90年代 『ウンコ食ってるときにウンコの話するなよ!』
     シュール・不条理による笑いの波及。ツッコミどころも見つからない、
     「意味が分からない」ことが笑いにつながってくる黎明期。
 
そして00年代 『カレー食ってるときにカレーの話するなよ!』
        行き過ぎたシュール。
        もはや意味不明を通りすぎ、「だから何?」が受ける時代。

「パンはパンでも食べられないパンは?」
これは最も有名ななぞなぞの一つだ
答えの設定はご存知の通り「フライパン」
この答えをどうボケたら面白くなるのだろうか
 
 
普通に食べられないパンを言う
解:腐ったパン
 
フライパンを間違えてみる
解:ナベ
 
別のパンと付くものにしてみる
解:パンツ
 
下ネタにしてみる
解:うんこパン
 
「食べられない」を間違える
解:フランスパン
 
「なぞなぞ」を「質問」と間違えてみる
解:コロネが苦手です
 
すべて間違える
解:乳輪大納言

近代的なお笑いが理解出来ない人にとって、上記のコピペは大きなヒントになると思う。こういう前提をすっ飛ばしてシュールなネタを見てしまうから、大抵笑い所が解らなく、ポカーンとするのだと思う。実に的確な説明文で素晴らしい。

こうやって考えると、現代のお笑いはある種の前提知識が必要なのかなあ、とも思う。勿論知らなくても笑う事が出来るが、前提知識があればより笑える訳で。この辺り、ジャズのアドリブに非常に良く似ている。

スケジュール管理でボロボロ

スケジュール管理が甘い。どうも詰めでケアレスミスを犯しがちだ。大抵大きい山を一つ越えた後に転ぶ。油断しているのか放心しているのか解らないが、そのうちとんでもないミスをやらかしそうで怖い。早いところ優秀なスケジューリングソフトを導入する。あと、ヒアリングシートも作っておくべきだと今更ながらに痛感した。

最悪の行為『拗ねる』

比叡山に罪は無い。

毒を吐く。苦手な人はスルーして貰いたい。ちなみに仕事に絡んだ話では無い。ごくプライベートな話だ。僕は当事者では無く、ジャッジとして参加した。

『拗ねる』という行為がある。ものの本に寄れば、『素直に従わず、不平がましい態度を取る』という事らしい。類似語には『不貞腐れる』『いじける』などがある。

これ、いい歳こいた大人なら絶対やっちゃいけない事だ。ちゃんと筋の通った話なら無下に否定される事も無いし、『拗ねる』なんて結果に辿り着く筈もない。否定された時に、何故否定されたのかを考えないからこそ『拗ねる』なんて子供染みた行為に至るんじゃないのか。これは単なる『思考の放棄』『責任の放棄』で、そんな輩に文句を言われる筋合いは一切無い。人の上に立つ立場の人間ならば尚更だ。自立が出来ていない人間が人様の上に立つとは何事だ。

「俺の言う事なんか誰も聞いてくれない」のは、主張が間違っているか説明が間違っているかのどっちかで、いずれも原因は己の中にあるというのに、それを他人のせいにする。言葉尻を捕まえて詰る。「口調がむかつく」等、あらぬ方向に矛先を向ける。相手の態度をどんどん硬化させているのは、全部自分が拗ねて空気を悪くしているからだ。泣いて誤魔化しが効くのは子供までだ。主張を通したければ筋を通せ。だってもクソもあるか。間違っているのは、己だ。

こんな事、この歳になって言うハメになるとは夢にも思わなかった。何で大人が大人相手に子供をあやすように話さなければならんのだ。大抵の人間は思春期辺りに己という存在の小ささに気が付くのに、間違ったプライドだけを持って殻に閉じこもって、自分一人だけが悲劇のヒーローみたいに振舞いやがって。社会と接して生きていくならば現実を直視しろ。身内に迷惑をかけるな。素直に間違いを認めろ。自分が背負っているものの重さも理解せず、当たり障りの良いものだけを選り好んで生きたかったら山にでも篭もれ。

エジプトでOLPC大活躍

物凄く心躍るニュース。プロバイダに頼らない新たなネットワークを短時間で構築し、エジプトの人々に提供して情報交換を可能にしたという夢のような話。更にOLPC(発展途上国の子供たちに格安で提供されるノートPC・人力発電による電力供給が可能)まで飛び出してきて大興奮。発表された当初は役に立つのかと懐疑的な目線で見ていたのだが、ここに来て超強力な武器になるとは。素晴らしい。

大切なのは『引き算』

「表現とは、捨てることである」という先達の言葉にもあるとおり、相手の言ったことの本質や核心をうまく際立たせなければ、伝えたいことも伝えられません。「ところで、要点はなんなの?」と聞き返されるだけの話です。これでは、ビジネスの効率は上がりません。
 
本質、あるいは、骨格というものだけを残し、あとはぼかす、あるいは捨て去ってしまってこそ、伝えたいところだけを浮き彫りにすることができます。それができれば、相手はストレスを感じることなくスッと理解できるのです。

僕がこういった話を聞かされたのは、学生時代、それも作曲の授業を受けていた時の事だった。恩師I先生曰く、「大切なのは、いかにして無駄を省くかという『引き算』だ」と。特に音の場合、一番の情報源である『視覚』に頼る事が出来ない為、主張が多過ぎると文章や映像以上に意味が解らなくなってしまう。主張だらけの作品を持ち込んだ僕は、その事を痛感した。

何かを表現する時、慣れていない人は「詰め込めるなら詰め込めるだけ」と思いがちだ。僕もずっとそうだった。余白があるなら埋めれば良い。あれもこれも目立たせて、沢山主張を見て貰いたい…だが、それは大きな間違いだ。読む側の人は、そんなに一度に情報を取り込む事が出来ない。何より、解りやすい主張が無いと、足も止めてくれない。

僕がこの仕事を始める際に一番時間を割いたのが、『引き算』の練習だった。情報を精査し、使う色を限定し、余白を作って活かす。いかに読み易く、伝わり易く、印象に残り易くするか。大事なのは読み手の印象であって、身内からの印象ではない。この部分に関して、僕はかなり頑固なほうだと思う。まだまだ至らない所も多く凹む毎日だが、練習は続けている。

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