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2010-01

こういう手段があったとは

頼りになるわオークション。

事務所作りにおいて、最後にして最大の懸案だったものが、全く予想しなかった形で決着しそうだ。タナボタというか、何というか。気付いた時にちょっと電気が走った。これ一つで3つくらいの問題が解決出来そうだ。万歳。ちなみに、Yahooオークションを利用したのは8年振り。その時競り落としたのは、KORGのMS2000(リンク先はMS2000BR)だった。

一つ目の山を越える

何とか一つ目のタイトロープをクリア。調整時間の余裕も取れたので、満足している。前にも増して、自分の作業スピードが速くなったと認識出来た事が嬉しい。とは言え、まだまだ課題も多いので、修練を怠らないようにする。残るタイトロープは、大小含めて6本。

何はともあれ、今年は良い年になりそうだ。

爆睡のちフル稼働

ここ数日の反動か、9時半に起きるつもりが11時半になっていた。お陰でピアノの練習が出来ない。悪いのは確実に自分なのだが。

夕方、店にA社長とI社長婦人が顔を出してくれた。嬉しい事に、植物(っぽいもの)をプレゼントしてくれた。全く予期していなかったので、かなりテンションが上がる。消臭効果があるそうで、I社長婦人曰く、「加齢臭対策に」。まだ早い、と思いたい。聞けば、ちょくちょくこのブログを覗いてくれているそうだ。面と向かって言われると恥ずかしいのは何故。

閉店後、最期の詰め作業。帰宅してからもずっと作業。26時に目処が立った。思ったよりも早く出来上がり満足。成せば成る、人生そんなもんだ。

松本人志とジャズの関係

松本人志のやり取りは、かなりジャズのアドリブに似ている。今ある環境を最大限に活かし、予想だにしなかった方角から、理解しやすいフレーズを即座に発する。頭の回転、瞬発力、フレーズの幅がズバ抜けているのだ。ある程度の流れはあるが、出てくるフレーズはどれもがユニーク(独自)で、言い回しを変える事によって更にその幅を広げている。わざとフレーズを反復させたり、倒置的なフレーズが出てくると、尚更ジャズのような雰囲気になってくる。恐らくこれらは、練習したものではなく、普段の生活から何気なく発している内に積み重ねられた技術なのだろう。見習うべき点は多い。

iPhoneでサバイバル

既報だが、ハイチの大地震被災者で、iPhoneを使って生き延び、65時間に救出された人が居るらしい。どうやらネット環境は断絶だったようで、ダウンロードしてあった救急法のアプリでサバイバル情報を得て生き延びたようだ。また、予備バッテリーを持っていた事で、長時間の使用にも耐えられたのだという。

ウェブ上ではWoolley氏について、「救急セットを持っていればよかったのに」と批判した人たちもいたが、同氏はこれについて、「外出するのに救急セットを持って行く人がどれだけいるだろう? iPhoneが便利なのは、それがいつもポケットに入っているという点なのだ」と指摘した。

iPhoneに限った事ではないが、こういった情報を気軽に持ち歩ける環境があるというのは素晴らしい事だ。『もしも』の為に本や手引きを持つのは大変だが、これならばバッテリーさえあれば辞書何冊分のデータでも持ち運ぶことが出来る。こういったものは、全てのモバイル機器に備わっていても良いかもしれない。

時間を忘れて作業に集中

バンバン作る。

最高速度でサイトを構築中。とにかく時間が無いので、自分の中で決めたルール通りにコーディングを進める。この作業、とにかく1ページ目を作るのに時間がかかる。これさえ決まれば、後はそれを使ってどんどん増やしていけばOKなのだ。昼の12時から始まり、一段落着いたのは26時。何とかなりそうだ。集中している時は、本当に時間を忘れる。

悪いのはヤツだ

先日訪れた鉄の羊毛の部屋が酷い有様だったので、猶予を与えた上で部屋の清掃を命じた。今日はそのチェック日だ。可能性としては、綺麗1:汚い9くらいの割合だと思っていたのだが、残念な事に部屋は綺麗になっていた。

どうしてこうなった。

だが、来週くらいにはまた汚くなっているかもしれないと希望を見出し、証拠として部屋の写真を撮影したつもりが鉄の羊毛しか写っておらず、この怒りを何処へぶつけて良いものか解らず日記を書いている。だんだん自分で何を言っているのか解らなくなってきたが、要は鉄の羊毛が悪い、という事なのだろう。そんな気がする。そうに違いない。

開き直って2月を迎える

一番前の席が好き。

今までにやった事の無い類の依頼を受ける為、一路三条河原町へ。1時間ほど打ち合わせ、合間に音源制作。M-AUDIOのFast Track Pro大活躍。これは本当に買って良かった機材だ。

依頼のほうは、正直かなり大変なのだが、ハラを括って進める事にした。色々緊張する事もあるのだが、やると決めたら簡単に開き直れ、楽しくなってきた。なるようになる精神で2月も頑張ろうと思う。

余談だが、200番台の市バスを初めて活用した。地下鉄より楽ではないか。こんな便利な交通機関があったとは。原チャに乗っていると、本当に交通機関に疎くなるなと感じさせられた。

あれから26年

ウ驚くほど変わっていないI先生。

僕と一番付き合いが長いのは『スーパーのK(小学1年~)』だが、実はもう一人、同じ長さの付き合いをしている人が居る。恩師I先生だ。

I先生は小学1年の時に出会った先生だった。だが、顔を合わせていたのは半年間。I先生は、産休を取った担任K先生の代わりにやってきた、臨時教師だったのだ。話を聞けば、当時先生は58歳。6歳だった僕から見れば、優しいおばあちゃんのようだったI先生に、僕は人一倍懐いていた。産休が終わってI先生が学校を去られる時、とても寂しがった事を今でも覚えている。

以降、僕は毎年I先生に年賀状を書くようになる。他の先生にも年賀状は出していたが、中学に進学すると共に年賀状の数自体が減っていき、何時の間にか送るのを止めていた。そんな中、僕はI先生にだけは年賀状を出し続けた。先生も毎年、僕に年賀状を送って下さった。年に一度だけ連絡を取り合う、そんな関係が20年以上続いた。

今年の年賀状、僕はとある決心を書いた。連絡先を付け、1月中にI先生に会いに行きます、と。毎年、近々顔を出しますと書きつつ、恥ずかしいやら踏ん切りがつかないやらで会いにいけない事ばかりだったのだが、自分の中で節目を迎えたし、今なら胸を張って会えそうな気がしたからだ。往復はがきを用意し、空いている日を調べて書こうとしたその時、携帯が鳴った。I先生からだった。

今日、僕は26年振りにI先生と対面した。若干背が縮んだそうだが、僕から見れば何も変わっていないI先生がそこに居た。ただただ嬉しかった。店で、事務所で、3時間も喋った。先生は、本当に有難いとおっしゃっていたが、有難う御座いますと言うのは僕のほうだ。

近々、今度は僕は先生の家にお邪魔する事になった。手土産には、この時一緒に撮った写真を持っていく予定だ。

ショートと言えば久慈

僕が野球を見始めるようになって、真っ先に好きになったのが阪神の遊撃手、久慈選手だった。その頃はレギュラーではなく、専ら勝ち試合の守備固めとして出場する事が多かったのだが、とにかく守備が上手い。恐ろしく広い守備範囲、流れるような一連の動作。小柄な身体が躍動し、アウトを積み重ねていく姿は、まさしく『守備でメシが食える』選手そのものだった。個人的には、今でも最強のショートは久慈選手だと思っている。

上記の記事を見たとき、ひょっとして…と思いながら読み進めて久慈選手の名前が出てきた時の嬉しさといったら。いや、自分の事ではないのだが、やはり凄い技術を持った選手だったんだと改めて感じさせられた。願わくば、もう一度あの守備を見てみたいものだ。

Youtubeに少しだけファインプレーがあったので紹介してみる。最後の数秒が久慈さん。この試合はテレビで見ていた。オーバーランした選手を見逃さず、サードへ送球。素晴らしい。

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