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2011-11

ネコ将棋


名人たるもの、やはり理の外から攻めてくる訳で。ねえ。何だこれ。

フローリングで良かったね

「何でもかんでも床に置くな」と小さい頃から言われ続けてきた僕ですが、今日も床で乾かしていた珈琲のダシガラを蹴り飛ばしてしまいました。事務所は珈琲アロマで一杯です。フローリングの床は勿論、吸った掃除機も珈琲です。もう全部珈琲になっちゃえば良いと思うんですよ。珈琲は愛だと思うんですよ。多分疲れてるんですよ。きっと誰も悪く無いんですよ。

戦慄福井弁

A君は福井県出身だ。学生時代は大阪で今は京都だが、使う言葉は標準語。でも地元に戻ったら、やっぱ方言が出るん?と尋ねてみたら、「福井弁になるねえ」という話になった。福井弁か…でも京都とそれほど離れてる訳でも無いし、そんな変わった言葉も無いんやろうと思ったが、甘かった。以下、Wikipediaより引用。

  • あたる【動】 – 貰う。「ボーナスあたったけぇ?(ボーナス貰えましたか?)」
  • おぞい【形】 – ぼろぼろである。質が悪い。
  • からげる【動】 – 結ぶ。
  • けなるい【形】 – うらやましい。
  • じゃみじゃみ【擬音語】 – テレビの砂嵐。英語のJamming(妨害電波)が訛った物という説がある。
  • のくてぇ【形】 – 愚かなさま。馬鹿だ。「温い(ぬくとい)」の音便形。「のくてーのー(バカだなー)」「のくてぇやっちゃ(馬鹿なヤツだ)」
  • はえめ【名】 – 蠅。

全部理解出来ているA君。当たり前っちゃ当たり前だけども、何これ。『はえめ』って何よ。『蠅め!』って怒ってるみたいやん。どっから『め』が生えた。あと、例文がヤバい。

  • 孫「おじいちゃん、遅いんやって!はよしねま!」
  • 【訳】「おじいちゃん、遅いよ!早くしなよ!」

『しねま』って、何となく語感的にヤバくないか。おじいちゃんに向かって言ってるし。『ま』が無かったら大惨事だ。他の例文も読み上げてみたら、A君は「うん、解るよ」と言っていた。A君が、何だか今までと違って見える。

34歳デビュー

ついに発売された、『洞窟物語』。朝からtwitter等を追いかけでドキドキしていた。評判はどうなのか、それ以前に話題に上っているのか。結果は思った以上の賑わいで、配信開始と同時に購入していた人も多数見かけられた。みんな安堵しているだろう。

僕自身、あまりダウンロード配信を利用する方では無いので気が付かなかったのだが、こういう方式だとリリース直後に並ばずに購入が出来るのが強い。出掛けなくても良い。もしくは、出掛け先でも環境があれば良い。それこそ、学校の休憩時間に、オフィスの昼休みに、通勤通学中に購入する事が出来るというのは、想像以上に大きいメリットだと感じられた。時代の流れって凄いなあと感じさせられた。僕、取り残されてる。

何はともあれ、日本コンシューマ界へのデビューおめでとうA君。

ワインに溺れるお仕事

バーテンダーのKさんのお店で撮影会。クリスマスカード用の写真と、新メニューの写真撮影だ。「折角だから飲んで食べていって下さい」とのお言葉に甘え、飲みながら仕事をさせてもらう。目の前に次々と置かれるワイン、パスタ。美味しい、マジで美味しい。「試行錯誤し過ぎて、自宅がパスタで埋まっちゃって…」という位研究されたメニュー、素晴らしくワインに合う。

実はこの後の記憶があまり無い。ワインはアルコール度数が高いという事を忘れて、赤、白、赤、白と順序良く頂いたせいでフラフラに。生まれて初めてボジョレーを飲んだ事は覚えているのだが。あと、どうやら僕は白かスパークリングが合うようだ。書いてて思い出した、スパークリングワインの炭酸は、天然の炭酸だという話。まさか炭酸飲料の期限が自然発生だとは、思いもしなかった。

流石に飲み過ぎて、リバースの可能性が出て来たので申し訳ないのだがワインを少し残した。それも、一番美味しい貴腐ワインを。嗚呼勿体無い。電車で帰れる余力も無かったので、タクシーにて帰宅。布団に入るまで、ずっとリバースと戦っていた。やっぱり僕、酒に弱い。

従兄弟の子供でストレス発散

忙しすぎてイライラしてきたので、久々に従兄弟の家へ突撃。しかし、肝心の子供たちが居ない。聞けばまだ学校から帰って来ていないとの事。先に別の用事を済ませて、部屋で待機する事にした。程無く長女が帰還、投げ飛ばす。同時に1歳児の末っ子を捕獲、ご挨拶をするも人見知りをされてしまった。

しかしそこは子供を手懐けること20年の僕、あの手この手で赤子に接近。結果、30分程で末っ子は陥落した。これで再び、従兄弟の子供は全て掌握した事になる。それにしても以前は『大仏』なんてあだ名がついていたが、この髪型は『落武者』じゃないか。次はどう進化するんだろうか。しばらくして長男も帰ってきたので、カメラのフラッシュで攻撃してから電気あんま。有無を言わさず電気あんま。これから塾があるという事も聞かずに電気あんま。長男は壊れた。残念ながら今日は次女と会う事が出来なかった。部活で忙しいらしい、許せん。

その後、皆で台所でご飯を作っているお祖母ちゃんの所へ行く。長女が「この子何でも食べんねん」と梅干を末っ子に差し出した。ホンマに大丈夫かと思ったら、モリモリ食ってるではないか。そういやこの子らも、物心つく前からオッサンみたいなモンばっかり食べてたなあ。これも血か。ちなみに僕は梅干も納豆も食えません。

結局いつもの半分くらいしか滞在出来なかったが、楽しかったので良しとする。次回は4人揃って投げ飛ばす予定だ。

見た目よりずっと若いです色々

オトンにカメラを向けたら、近年稀に見る物凄いでスウェーを始めた。オトンなりのカメラディフェンスらしい。あまりにも下らなかったので撮影したら案の定ブレた。オトン大喜び。流石僕の父と思わされた。

子供の夢、再燃

最近、色んな場所でMSXの話をする機会が増えた。触らなくなって随分久しいのだが、話を振られるとスッと答えられる事に驚いた。小学2年に出会って、専門学校に入るまで、ほとんど毎日触り続けていたMSX。やはり僕の血に、色濃く刷り込まれているようだ。



MSXと言えば投稿プログラムで、当時ゲームソフトを買って貰えなかった僕ら兄弟は、MSX・FANやベーマガを買ってきては投稿プログラムを入力し、遊んでいたものだ。兄は物持ちが良い方で、今でも綺麗に雑誌やフロッピーを残してくれている。当時の僕の夢は、ゲームプログラマだった。

時代は流れ、今、僕の身近にはとんでもないゲーム開発者が居る。お互い独立して会う機会も増え、再び刺激を貰うようになってきた。ホントに今更ながら、僕の中でゲーム制作熱が再燃しつつある。来年には何か、小さいものでも1つリリース出来れば良いなと。

オカンが立った

オカンの様子を見に行ってきた。驚いた事に、簡単に片足でひょいと立ち、そのまま車椅子へすっと座る程度にまで回復している。まだ手術してそれほど時は経っていないのに。最近の医療、ホントに凄い。まあこれから、本格的なリハビリが始まる訳だけども。

病室の人ともすっかり打ち解けていて、お菓子を配って歩くオカン。お隣の町内の人も居られたりして、しかも共通の知り合いがいる事も判明。地元の病院とはいえ、世間は狭い。悪い事は出来ませんぜ。

僕と『20,november』


twitterのTLで気付いた。今日、20,novemberだ。学生時代に最も金を突っ込んだビートマニア。引き金を引いたのは、この曲だった。1stの頃から存在だけは知っていたのだが、プレーヤーが少なく耳にする機会自体が無かった。だが2ndの爆発的なヒットでこの曲を耳にし、そこから僕の人生は大きく狂っていった。この曲を、何としても自分で演奏してみたい、と。

学校が終われば、毎日スカイビルの下にあるゲーセンへ。友人達が列を作り、そこで必死に練習をする。攻略サイトに置いてあった譜面をダウンロードして、授業中にも机を小さく叩く。それだけで飽き足らず、ゲーセンでバイトを始めて(ビートマニアの為だけに始めた訳では無いけども)営業終了後に練習。バイト仲間にも譜面を渡して、休憩室で机を叩く人間が続出。更にはバイトの休憩時間中、余所のゲーセンまでダッシュして練習をするという狂った行動まで取り始めた。

一度だけ超繁忙期の営業中に、許可を貰ってプレイした事があった。僕がバイトしていたゲーセンは、所謂大型アミューズメント施設で、レストスペース前の一番目立つ場所にビートマニアが鎮座していたのだが、あれは本当に快感だった。子供も学生もカップルも家族連れも、みんな僕の『20,november』を観ている。取り立てて上手い訳では無いのだけれど、まだ当時はクリア出来る人自体が少なかったので、イヤでも注目を浴びる事が出来た。

この頃から僕は、クラブミュージックに傾倒していくことになる。所属していたサウンド学科の師匠がDJをやっていた事もあって、僕のCDラックはハウス、ブレイクビーツ、ドラムンベース、ゴアトランスなどで埋まっていった。それだけで飽き足らず、シンセをイジって自分でもクラブミュージックを作ってみたり。で、コンテストに応募して入選してしまって、これが更に人生を狂わせていく結果になるんですな。MIDIの自動演奏だけじゃなく、自分で演奏出来るようになりたい。ちゃんと理論を学びたい。そうや、どうせやるなら、一番難しいジャズピアノやろう、と。

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