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インディーゲーム東京旅行・Indie Streamに至るまで

  • 2013-09-22 (日) 0:30
  • 日常

本日最後にして最大の舞台、それはSCEI本社のあるSSJ品川ビル。ソニー・コンピュータエンタテインメントである。こちらの10階食堂にてインディーゲーム開発者やそれに関わる人たちが集まって、とあるイベントをやるそうなのだ。正直、自分で書いてて意味が解らない。ソニーて。地元の友人に言ったら「はぁ!?」って言われるだろうし、僕もはぁ!?って言うと思う。まず自分の仕事で来ることは無いだろう。Maruchuさんと二人で受付に入ると名刺を入れるタグを渡され、例の自動改札みたいな所を通って10Fへ。廊下を歩いて、一歩中へ入ったそこは、パーティー会場だった。

もうね、人大杉。これBitSummitの時にも言ってた気がするけど、どんだけ人居るのよ。いきなり祭りに放り込まれた我々、手探りで状況を把握し、何とかクロークに荷物を預けて一段落。既にボロボロ。そこへtaigooooさんがビール片手に現れた。「まあまあ飲んで飲んで」と言われるまま、すきっ腹にZIMAを一本という、僕にしては大変チャレンジングな行為に及んでしまう。スイマセン喉乾いてたんです。全身が赤く発光しているかのような感覚に捉われつつカメラを構える。そこへ丁度、ならむらさんや東江さんがステージに登壇。いよいよ今日のイベントの趣旨が発表される。

Indie Stream

Indie Streamについては既に沢山のメディアやブログなどで報じられている通りなんだけども、折角なので僕も少し書かせて貰う事にする。自分が見てきたことを書いているのでどうしても身近な人の話ばかりになってしまうが、ご容赦頂きたい。

『インディーゲーム』という言葉をよく耳にするようになったのは、つい最近の事。国内インディーゲーム界でしょっちゅう名前の上がる2つのチーム、Studio Pixelの天谷君とNIGOROのならむらさん。初めて顔を合わせたのは、2010年の10月だ。随分昔のことのように感じていたんだけれども、これも実際はごく最近の話だった。お互いの代表作である洞窟物語(海外版のみ)のWiiWareは2010年5月、La-Mulana(日本語版)のWiiWareは2011年6月にリリースされている。

当時僕は、この二人が出会ったこと自体に驚いていた。天谷君のゲームは学生時代からずっと見てきたし、NIGOROさんのゲームだって前身のGR3 project時代からずっと追いかけていたけど、どちらも元はフリーゲーム作家で、そのどちらもがプロに転じて業界に飛び込むなんて思いもしなかったからだ。ましてや、一緒に仕事をするなんて。そりゃ嬉しかったですよ、どっちも思い入れのあるチームだったから。でも実際、僕が考えている以上に、彼らの活動は手探りの連続だった。前例がほとんど無かった上に、ゲーム業界とはほぼ無縁の人たちだったからだ。それこそ道なき道をズンズン進んでいくような毎日だっただろう。NIGOROさんの戦いの日々については、ブログ3匹が企むに詳しく書き綴られている。

「日本でインディーゲーム販売を成功させるには、海外でのリリースが絶対条件」、これはNIGOROさんが当初から話していた事だ。世界と日本の人口比を考えればすぐ解る事だけれども、日本国内だけでは売れる本数に限りがある。稀有な例外もあるだろうけど、そんな所へ狙って飛び込めたら苦労はしない。勝算があるとすればここしかないだろう。だがそのハードルは果てしなく高い。言語の、文化の、契約の、法務の、金銭の。経験の無い人にとって、これらを自力で乗り越えるのは至難の業だろう。天谷君がプラットフォームにiOSを選んだのには、この辺りを簡易に済ませられるからという理由もあった。彼らは顔を合わせる度、様々な情報交換や相談を行っていた。

そこへ現れたのが、2011年5月にスタートしたインディーゲーム専門のダウンロード販売サイト、PLAYISMさんだった。彼らの母体はローカライズ専門の株式会社アクティブゲーミングメディア(AGM)で、スタッフの大半が外国人というネイティブスピーカーのスペシャリスト集団だ。勿論海外とのやり取りも盛んで、契約業務などにも明るい。渡りに船とはこの事だろう。本社が顔の出しやすい大阪にあった事も大きなポイントだ。ただ一つ、肝心のゲーム販売についてはPLAYISMさんも全くの手探りだった。彼らは海外へ出して勝負出来る、強力なコンテンツを探していたのだ。お互いの熱意が見事に交わり、ここから彼らの一蓮托生が始まる。所謂、『串カツ心中事件』だ。

数々の苦難を乗り越え、ようやく辿り着いた2013年4月のLa-Mulana STEAM配信。日本人によるGreenLight通過はこれがはじめてとなる。世界最大のゲームプラットフォームに、国産のインディーゲームタイトルが初めて名を連ねたのだ。La-Mulanaは新たな海外ファンを獲得し、ならむらさんは国際的ゲーム開発者会議・GDC2013に登壇するまでに至った(余談だが、GDC2011に天谷君も登壇している)。PLAYISMさんの元にもどんどんインディーゲーム開発者が集まり、ゲームが増え、ユーザー数が増え、2周年パーティーではこれだけの人が集まるようになった。だが、これで終わりではない。

いつだったか、天谷君が言っていた。「僕らを『先頭集団』だって言ってる人が居るけども、僕らだけじゃ、いつまでも洞窟物語だLa-Mulanaだじゃダメなんよ」と。どんどん新しいゲームが出て来て、共に戦ってくれる人が増えなければ日本のインディーゲーム界は盛り上がらない。盛り上がらなければ先は無い。彼らは道なき道を切り開いて、少人数のチームでも海外へ挑む事の出来る突破口を作った。その道を、良ければ沢山の国内インディーゲーム開発者にも使ってほしいと望んでいる。その為のアドバイスは惜しまない。彼らは、更なる仲間を欲しているのだ。

今回新たにSCEJAさんの協力を経て、PLAYISMさんはコンシューマ機であるPlayStationプラットフォームでもインディーゲームをリリース出来るようになった。かつては想像だに出来なかった話だが、一個人だろうが副業だろうが、ゲームの出来が良ければ様々なプラットフォームでゲームをリリース出来る、そんな道が開かれたのだ。道のりは長いかもしれないが、かつてケモノ道だったようなこの道は、今やしっかりとした道路に変わりつつある。何も無い所から始まった彼らが、2年ちょっとでここまでのものを提供出来るようになったのだ。特筆すべき活躍ぶりではないだろうか。

今年、目に見えてインディーゲーム開発者たちの交流が盛んになってきた。各地で様々なイベントが開催され、沢山の人が集まってくる。インディーゲーム開発者だけではない。アマチュア開発者が、コンシューマ機の開発者が、メディアが、学生が、ゲームファンやプレーヤーが集まって、みんなでゲームの事を話し合っている。手の届くゲームの話を。

Indie Streamは、この盛り上がりの一番良いタイミングで発足したように思う。まだ生まれたてのコミュニティでどうなっていくかは解らないが、彼らのノウハウはきっと沢山の人の手助けになるだろうし、新たな交流やゲームを産み出すキッカケにもなるだろう。このコミュニティが文字通り大きな『Stream』になり、沢山の人々を振り向かせられるものになる事を願っている。

さて、会のほうはというと、当初定員250名だったのが大幅に超過して500名以上の参加者があったそうだ。僕らが到着した頃にはバイキングの食べ物も残り少なくなっており、バタバタもあって口に出来たのはパスタとフルーツのオレンジだけ。まあ、2倍超も人が来たらそうなりますわな。ドリンク類も早々に全滅し、会場では水に飢える人が続出。厨房まで行って、片付け作業中の従業員さんからポット一杯に水を貰って何とか凌いだけど、出来れば水くらいは各テーブルに置いておいて欲しかったなと。喫茶店の息子としては。

参加者のほうもゴージャスで、Papers, PleaseのLucas Popeさんファタモルガーナの館の縹けいかさんゲーム保存協会のジョゼフ・ルドンさんこびとスタジオの佐川さん、BitSummitなどでもお世話になっているQ-gamesさんなどなど。走り回っててぜんぜんご挨拶出来ずに申し訳ありませんでした。次こそは、是非。

そうそう、天谷君もちゃんと参加してたんですけどね。「ごめん、新幹線の終電あるから先に帰るわ!」と21時過ぎにですね。ちょっと待て、あんさん夜行バスで帰るって言うてなかったか。まだ会も中盤やぞ、もーホンマにこの子は。その後、会う人会う人「今日は天谷さんは?」と聞かれて平謝り。僕、保護者失格だ。

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