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2009-09-12

まだ見ぬ一本橋

以前通っていた教習所で、125ccスクーターの試乗会をするとのチラシが届いた。かねてより原チャに限界(主に法廷速度的な面で)を感じていたので、これを期に免許を取得しようかと企んでいる。自動車免許は持っているので、実技試験だけでOKの筈という話を家族にしたら、「アンタ一本橋大丈夫か?」と笑われた。

我が家はバイク一家で、母親が150ccのスクーター、兄が1300ccのレーサーレプリカに乗って毎日通勤している。つまり、二人とも一本橋を経験している(ミス無し)。要らんプレッシャーをかけて、僕を笑い話の種にしようとしているのか。おのれ。

Diabloという名の悪魔

この曲を聴いてすぐ身体が反応した人は、恐らく一度廃人になりかけたか、もしくは未だ廃人になったままでは無いだろうか。

僕が一番最初に手をつけ、そしてこれが最後となったネットゲーム、『Diablo』。今でこそメジャーになった、大人数オンラインRPGの先駆けとも言うべきもので、僕らが学生時代の時に発売され世界的大ヒットとなったゲームだ。発売元はアメリカで、表記や説明、セリフも全て英語。そのハードルの高さと、いかにも洋ゲーらしい陰惨かつ美しい世界、ランダム性の高いダンジョン、レアアイテム蒐集の楽しさ、そして何よりゲーム自体の完成度と面白さが、僕らを一瞬で虜にした。

だが、このゲームの一番恐ろしい所は、ネットを使って友人と一緒に戦えるという未知の面白さだった。誰かの家まで遊びに行かなくても、ネットさえあればすぐに同じ世界で遊べる。それは、当時としては革命的な出来事だった。予め参戦時間を決め、みんなで同じ世界に集まってダンジョンを攻略する。パーティを組んで膨大な数の敵と対峙する。気を抜いたら一発で殺されるという絶妙のゲームバランスが、面白さを一層際立たせた。

気が付けば、クラスメイトの大半はDiabloにハマっているという異常事態に発展。ADSLや常時接続なんて無かった時代、テレホーダイを使って毎夜毎夜パーティを組んではダンジョンに潜り、アイテム交換を行い、新人育成をし、酷い時には明け方まで戦った。また、全く知らない世界へ飛び込み、何処の誰とも知らない外国人と即席パーティを組んで戦った事もあった。つたない英語でチャットを行い、必死にダンジョンを攻略する。「昨日ガイジン助けてん」「俺なんかPK(PlayerKiller、つまり仲間を殺してアイテムを略奪する行為)に根こそぎやられたわ」なんて会話も教室でしょっちゅう行われていた。それ位、Daibloというゲームは面白かったのだ。

この曲は、Diabloをスタートさせて一番最初に聴く事が出来る、町のテーマソングだ。

この曲が勝手に頭で流れ始めるまでになった頃、僕はふと恐怖に包まれた。この、終わりの見えないゲームに費やした時間を振り返ったのだ。学校から出された課題も疎かになりがちで、テレホーダイ以外の時間にもDiabloをするようになり、電話代が跳ね上がったのも正気に戻らせた一因ではある。Diabloにハマった人間の一部は、桁違いに自由度が高い『Ultima Online』などのネットゲームにも手を出した。僕が『ネトゲ廃人(ネットゲーム廃人)』という言葉を知ったのは、その頃だ。幸い、友人でネトゲ廃人にまで進行した人間は居なかった(中毒レベルは居た)。

僕にとってDiabloは、まさに悪魔の如き両面を持つゲームだったと言える。もう一歩足を出していたら、ハマり込む僕の性格上、戻って来れなかった可能性が高い。ネットゲームは、本当に面白いのだ。だからこそもう手を出すまい、そう決めた。

問題が一つ。只今絶賛開発中のDiabloIIIが、死ぬ程面白そうなのだ。

和室X

圧倒的存在感。

和室を借りて障子を開けたら、剥き出しの鉄筋が現れた。

子ども演劇同窓会会議をする為に、とある公共施設の和室を借りたのだが、障子の向こう側が強烈な事になっていた。耐震構造上の問題なのかどうか知らないが、このミスマッチ具合はどうだ。部屋は南向きなので、時間帯によっては障子に鉄筋の影が映る。この和室、お茶会が出来るように炉が設置されているのだが、障子に×の影が入るお茶会というのは斬新だ。

余談だが、会議の場所と時間を間違えた。こんな酷いボケは産まれてこの方初めてだ。みんな申し訳無い。あと、この公共施設で会議をすると、高い確率で豪雨に見舞われるのは何なんだろうか。

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