高校野球決勝戦。9回表、4-10、2アウト、ランナー無し。恐らく次が最後のバッターだろう。
ああこれで今年の夏も終わりか、と思いながら画面を見つめていた。そりゃあここから追いついてくれれば最高に面白いが、その確率は恐らく天文学的な数字になる。ましてや相手は堅守の中京大中京。日本文理はここまでガッチリ押さえ込まれてきた。三振して地に膝を着くか、ファーストにヘッドスライディングしたまま立ち上がらないか。最後はあっけないもんだろう、そう思っていた。
6球目、僕が最後になると予測していたバッターは四球で出塁した。という事は、次の打者で終わりか。4球目に盗塁、2アウト二塁。出塁した以上、積極的に次の塁を狙うのは当たり前だが、何とも言えない気分になった。
ところが、このバッターはファールで粘った挙句、9球目をセンターへ弾き返した。タイムリーツーベースで1点返して5-10。次の打者もファールで粘って、7球目をライトを深々と破る三塁打。更に1点を返す。6-10。球場の雰囲気が一変した。
まだ4点差もあるが、観客の「まさか」「いやひょっとして」という声が聞こえてきそうなくらい、日本文理への期待が高まっているのが伝わってくる。そして3球目、放たれたボールはバッターの腰へ。死球。観客から凄まじいどよめきが起こった。
ピッチャーが変わる。甲子園には付き物の『あと一球』コールが起こらない。次のバッターも2ストライクまで追い込んだのに、ファールで粘られ、8球目に四球。2死満塁。迎えたバッターは、今日10失点の6番ピッチャー伊藤。もし一発が出れば同点。あの『代打北川』を思い出させる、マンガを超える展開になった。伊藤は3球目を強振、三遊間を抜ける2点タイムリー。8-10。観客が総立ちになった。
恐らく、両校ナインだけではなく、観客も一生忘れる事が出来ない心理状態になったと思う。攻める日本文理側には一切の恐れが無く、きっと各打者は『俺らは出来る』という、道理や理屈を通り越して悟ったような状態になっていただろう。逆に守る中京大中京側には、想像を絶する恐怖感が生まれていた筈だ。本当にあと一つアウトが取れるのか。もし自分が落球したら。もし自分が送球を誤ったら。果たしてこの試合、追い詰められたのはどちらの高校か。
ここで代打が送られる。変わったバッターは何と初球攻撃でレフトへタイムリー。9-10。甲子園が爆ぜた。実況も興奮し過ぎて、一体何がどうなっているのか解らない。日本文理の応援団が狂喜乱舞している。ピッチャーマウンドから見えるのは、恐らくキャッチャーではなく、地獄だ。甲子園の魔物は、ずっとそこで牙を剥き続けている。
高校野球決勝戦。9回表、9-10、2アウト、ランナー1、3塁。ワンヒットで同点、長打なら逆転。
まさに火の出る当たりだった。バッター若林が弾き返した2球目のストレートは、たまたまそこを守っていたサードのミットに吸い込まれた。私見だが、本当にたまたまだったと思う。ゲームセット、9-10。6点差の2アウトランナー無しから5得点。誰がこんな筋書きを書けるというのか。ゲームセットのその瞬間まで、甲子園の魔物は中京大中京に牙を剥いていた。最後の最後で勝負を分けたのは、『偶然』なのだと思う。
中京大中京のエース、堂林は泣いていた。ヒーローインタビューで己の不甲斐無さを謝った。恐らく感謝や感動の涙では無い。想像を絶する恐怖から解放された涙なのだと思う。対照的に日本文理ナインは誰一人泣く事も無く、胸を張って笑顔でスタンドに一礼した。このシーンだけを見ていれば、一体どっちの学校が勝ったのか解らない位だ。その自信溢れる姿を見て、僕は鳥肌が止まらなくなった。
その後僕は外出したのだが、先程のシーンが何度もフラッシュバックして鳥肌が止まなくなっていた。今日の試合を生で見られた人は本当にラッキーだ。毎年毎年高校野球は見ているが、今年の決勝ほど面白い試合は無かったと思う(マーくんvsハンカチ王子よりも興奮した)。さてさて、来年はどんな試合を見せてくれるのか。命ある限り、高校野球は見逃すまいと思った。