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2014-05

一子相伝パンイチ一家

とすると、ウチの祖父はどうやったんやろうと思う訳ですよ。オトンに聞いてみたいけど、何かどつかれそうな気がする。ホンマの事やのに。

PLAYISM3周年パーティーに行ってきました(記事)

PLAYISM3周年パーティが開催されるとの事で、昨年と同じく喫茶店を兄に任せてお邪魔しに行ってきた。開場は昨年と同じく、大阪・北浜のイタリアンレストラン エズ。いつ来てもゴージャスな雰囲気のあるお店だ。そんなお店を丸ごとゲームで埋め尽くすというんだから贅沢な話である。サブタイトルに「(特に何もしない会)」とついているんだけど、さてさてどうなりますか。

もうご存知かもしれないけども、少しだけPLAYISMさんの説明を。PLAYISMさんは、日本のインディーゲームを世界に向けて配信しているPCゲームプラットフォームだ。運営元の株式会社アクティブゲーミングメディアさんがローカライズ(翻訳)を本業としているため言語関係に恐ろしく強く、日本のゲームを海外へ、また海外のゲームを日本へ展開する事に尽力されているサービスである。最近では国内インディー界屈指の技術力を誇る『アスタブリード』や海外で名だたる賞を総なめにした『Papers, Please』などを配信して話題を呼んだ。

こう書くと堅そうな印象を受けるんだけども、中の人は実にフレンドリーで開発者・ファンとの距離も近く、皆で盛り上げようという姿勢を前面に打ち出している。今日のパーティーにしても、参加費さえ払えば開発者だろうがファンだろうが、誰でも参加が出来る緩いイベントなのだ。インディーならではのスタイルかもしれない。

さて、実は僕、開場の2時間前にPANDAさんに呼び出されて会場入りした。「昼飯にカレー食いに行こうぜ!」との事だったんだけども、わざわざそんな早くに呼び出すんだから何かあるな…と思ったら想像以上のネタを用意してましたよこの人。そのうち公開されると思うのでお楽しみに。と思ったら公開されてた。ヤバい。

PANDAさんの策略も無事完遂し、そろそろお客さんも入ってくる頃だ。さあ誰がやって来るかな、と思ったらしょっぱなから先日僕を異次元に飛ばした家主さん改めN師匠がやって来た。手にとんでもないものを抱えて。「CPUの無いゲーム機持って来たよ!」って、それ任天堂のテレビゲーム15じゃないですか。1977年、つまり僕が生まれた年に発売された、任天堂初のゲーム機。ファミコンの前。横にあるのはエポック社のテレビベーダーだ。「テレビに繋げる為に、念の為ビデオデッキも持って来た」、流石としか言い様がない。

備え付けてあったPS4を外し、テレビゲーム15をセットアップする我々。若いお客さんが多いためか「何ですかこれ?」と不思議そうに尋ねてくる人が多かった。そりゃ知らないですよね、僕もこれ幼稚園の時に1回遊んだっきりだし。チャンネルサーチ等に苦労しつつも、ようやく映し出されたゲーム画面に歓声が上がる。すぐに対戦会が始まった。外国人のお客さんも大喜びである。「テレビベーダーの解像度が低いのって、ほら、昔テレビってチャンネル変えたら右上にチャンネル数出たでしょ?あの仕組みを使ってるのよ、だからあの解像度」とN師匠。知らんかった!

メインのプロジェクタでは、先日PLAYISMさんとiOSで発売されたばかりの『ケロブラスター』が遊べるようになっている。開発室Pixelの天谷君( @amaya_pixel, @StudioPixelJP )最新作である。みんな長い事待っていただけあって、リリース直後にPLAYISMさんのサーバが落ちるという快挙(?)を達成した。写真はPANDAさん、先日ウチに遊びに来て頂いたOnion Gamesの木村 祥朗さん( @yoshiro_kimura )、天谷君。

写真を撮りそこなったんだけれども、PLAYISMマンのジョシュさん( @BudokaiMR2 )、ナイヤンさん( @thetrin )のコンビも元気だった。いや、ジョシュさんは「サーバがダウンして、怒られてね…」と凹んでたか。それでも先日産まれたばかりのジュニアの動画を見せてくれて、親バカっぷりをアピールしていた。おめでとうジョシュさん!

2階ではFullPowerSideAttack.comのなんもさん( @nanimosa )がTorqueLのパーティーバージョンを持ち込んでいた。全ステージクリア出来たら何とTシャツが貰えるとの事。コンティニューは無限に出来るので、時間をかければクリア出来る筈となんもさん。実際、何人ものプレーヤーがTシャツをゲットしていた。クリアした人が横からアドバイスを行い、かなり白熱したTorqueL大会。その中には、この人も。

ゲーム(足)パフォーマーのコッペリアさん( @doll_coppelia )である。昨年のPLAYISM2周年パーティーで華々しく足デビューし、今年のBitSummitでも足で対戦相手を蹂躙し続ける活躍を見せ、挙句フランスのゲームニュースサイトでデビュー(エンディングに注目!)してしまった石川県の星だ。様々な無茶振りをされるも、しばらくすると手と同じようにスイスイ操作してしまう。TorqueLは同時押しがあるから足じゃ厳しい筈だったのに、ちょっと目を離したらクリアしてるよこの人。どうなってんの。

そんなコッペリアさんの活躍を鋭い眼光で見つめる開発者が居た。NIGOROのボスことならむらさん( @naramura )である。「最近ちょっと調子に乗ってるから、こらしめてやろうと思って」と謎のソフトを起動。

プロジェクタにデカデカと映し出された『vs足』の文字。何だこれ。てか、事前に「3周年パーティー、特にネタなし」って言ってたじゃないですか。

爆発的な笑いが起こった。果敢に挑むも、成すすべなく踏みつぶされるコッペリアさん。上から、右から、左から足が飛んでくる。『vs足』ってコッペリアさんの事だけじゃなくて、ホントに足と戦わされるって意味なのか。後から聞いた話では、「あれ、どう頑張っても最初の部屋から出られないように調整した」とならむらさん。つまり、公開処刑じゃないですかこれ。安らかに眠れ、コッペリアさん。

こちら、必死にもがくコッペリアさんのプレイ動画。下は今日一番良い笑顔をしているならむらさん。嬉しそうで何よりです。

昨年と同じく、パーティーは何か特別なイベントがある訳でもなく自由に交流する事が出来た。飲んで食って遊んで話して、それぞれにパーティーを楽しんでいる。ソファ席のほうへ目を向けると、昨年と同じく関東からやって来た怪奇瘴忌譚のはしもとさん( @HashimotoRST )、ARTIFACTSの樹さん( @ARTIFACTS777 )、漫画描きのすぎむらさん( @tokiwa777 )が怪しげな会合を行っている。覗きに行くと「いま怖いフリーソフトを探してるんですよ」とはしもとさん。様々なイベントを通じて出会ったこの3人、とても仲が良いのでそのうちチームを組むんじゃないかとにらんでいる。

ゲームファンの人も沢山来場されている。いつもtwitterで遊んで貰っているオブルダさん( @ob_luda )、dekoさん( @ldekol )、関東から来られたまたの名をsuiheilibeさん( @Antouchable )。3人とも去年も参加しているという熱心なファンだ。オブルダさん、コッペリアさんのお守りお疲れ様でした。先日HOTLINE TOKYOのチャットでお世話になったブリックさん( @gr_brick )も居られて驚いた。

Unity組も元気で、JumpGunの久野裕介さん( @YusukeHisano )、くるくるさん( @mkd214 )、ラクガキ忍者の夜食さん( @iwatowake )もゲリラ展示していた。それを見守るはUnityやHSPでゲームを作りまくっているMaruchuさん( @Maruchu )。いろいろ悪い話をさせて貰った。

こちらは実況組、Yuryiさん( @Yuryi_jp )、SORUさん( @chirorian0154 )。SORUさんは助手のやまねさんと来られている。どちらも熱心な女性ニゴラー(NIGOROのファン)で、東京から遊びに来られている。BitSummitにも遊びに来られてましたよね、根性あるなあ。SORUさんとやまねさんは、先日ウチにお茶を飲みに来られている。あれ、ひょっとして3月、4月、5月と毎月関西に来られてません?

パーティーのDJは昨年と同じくJustin Pfeifferさん( @xanadujin )が、そしてG☆Eさん( @G_E_sfc )も参加されていた。MSX2のMETAL GEAR2のOPかけてましたよね、とJustinさんに話しかけたら「解ってくれた!?嬉しいよ!」とハグされて照れる。ザナドゥTシャツのJustinさん、翻訳者でもあってホントに日本語流暢です。長丁場お疲れ様でした。

他にもピグミースタジオの小清水さん( @PygmyStudio )、Nyamyamの東江さん( @nyamyamJP )やMighty No.9のコンセプトさん( @comcept_jp )、SilverSecondのSmokingWOLFさん( @WO_LF )、窓の杜編集長の中村友次郎さん( @finalbeta )、ライターの石田さん( @wis_Arle )、同じくライターの死に舞さん( @shinimai )ともお会いして話をさせて頂いた。「去年twitterで見てて、物凄く羨ましかったから今年は絶対行こうと思ってたんですよ」と中村さん。死に舞さんは、何と僕にまでインタビューを。

この辺りでパーティーはお開きとなり、二次会がスタート。去年は10数人だった参加者が、今年は30人近く居る。「えー、一次会で帰った人たちは薄情者です」というPLAYISM 水谷さん( @playismJP )の挨拶に大きな笑いが。酒を飲みながら皆ワーワーやり出した。

勿論二次会もゲームの話ばかり。はしもとさんのテーブルでは、何と『RPGツクール for mobile』で盛り上がっていた。iアプリ専用のRPGツクールで、僕は存在すら知らなかったんだけれども、このテーブル、何と制作経験者が3人も居る。Maruchuさんも思わず「レア過ぎる集団だ…」と震えていた。

更にお土産渡しや突発的サイン会が行われた。コッペリアさんが大量に持ち込んだ色紙が飛び交い、沢山の人にサインが届けられた。一番下の色紙。La-Mulanaファンならば衝撃の一枚ではないだろうか。

で、その配った張本人が貰ったサインを忘れて帰っちゃうんだから、もうね。取り敢えず僕が預かる事にしておいたので、欲しかったらまた京都まで遊びに来て下さい。2時間近く続いた二次会もそろそろお開き。来年は一体どんなパーティーになるだろうか。更にカオスな進化を期待しつつ、今日の所はお疲れ様でした。

気を使う撮影会

朝から御所で写真撮影のお仕事。静かな所でシャッターを切るとメッチャ音が響く。普段はこの音が心地よいんだけども、集中してる人が沢山居る場ではちょっと厳しいな。足音もガサガサしちゃうのが気になって気になって。意外にこの時期でも枯葉は多いのね。てか、事前に撮影するって話は通してあるんよねヨガのHやん。まるで邪魔しに来たみたいな事になってるんやけど。でも今は声も掛けられんし。ええいままよ。

会も撮影も無事終了、事前に皆さんには撮影の事も話していたようで邪魔にはならなかったようだ。良かった良かった。ここからHやんのプロフィール写真をバッシャバッシャ撮るんだけども、何かナチュラルな感じじゃなくてやらしい感じになって苦労する。もっと自然に笑うんよHやん。何でそんな含み笑いみたいな顔になるんよ。結局予定より30分押しになり、急いで地下鉄へ駆け込んだ。いざ、大阪。

待ってろよ、3周年記念パーティ。

何ゆえ今更ラブラブROUTE21

大体「○○実写化!」ってニュースが出ると、あーはいはいみたいなどうでも良い気持ちになるんだけども、これはちょっと見てみたい。見なければいけない気がする。ピンポイント過ぎるやろ、ゲーム雑誌(ファミ通)の3P漫画の一部(4コマ)が元ネタやぞ。企画した人キレてる。大好き。

3Dプリンタの有効な使い方

twitterって、時事ネタはすぐ大喜利化するよね。大好きだけれども。

サードユニ悲喜こもごも

帰宅して野球中継を観たら、見たことも無いようなユニフォームを来たチームが居た。阪神だった。

緑はまだ良い。去年だと楽天が良い感じの緑+エンジユニフォームを出していた。あれはカッコ良かったよなあ。ロゴも良かった。が、しかし、この阪神のは…いや、阪神が毎年出しているサードユニフォームは正直どれも…同じ関西のオリックスなんかは毎年メチャメチャ良いのを出してるのに、この差は一体何なのか。

スイスから旅人のお客様が

Onion Gamesの木村さんが、外国のお客さんを連れて遊びに来て下さった。何と、東京から。「次の日曜にPLAYISMさんの3周年パーティがあるから、早めに帰ってきたんよ」との事。じゃあ、お客さんもゲーム関係の…と思ったら、そうではないようだ。

こちらのお客さんはレバノン生まれのスイス人、ハーフィスさん(Hafis Bertschinger)。ハーフィスさんは画家・アーティストで、世界中を旅しつつ個展を開いたり作品を売ったりして生活しているという。御年何と、80歳。足腰もしっかりしていて、顔付きも若かったので、年齢を聞いて度肝を抜かれた。20年ほど前、東京で個展をやっていた時に木村さんと出会ったそうで、以来意気投合して来日の際には共に行動をしているそうだ。そういや、木村さんも旅人だったな。スイスの実家にも何度かお邪魔したそうで、「村人総出で迎えてくれてね」と照れ笑いをしていた。

ハーフィスさんは日本語を喋れないんだけども、僕の身振り手振りで大抵の事を察する事が出来る。僕は英語のヒアリングが少し出来るので、これで何となく会話が成立してしまう。「世界中を旅して回って、言葉が通じない国にも沢山行ったからね、大抵フィーリングで解るよ」と笑うハーフィスさん。「話す時も、出来るだけ解りやすく、ゆっくり話すようにしてるんだ」、よく解ります、有難うございます。その後も実に不思議な会話が続く。「私は40代の頃、馬1頭と荷物だけ持って、カンザスシティからポートランドまで3,000km旅したりもしたから」、いやいやいや。「60代の頃には、北海道から鹿児島まで2,500km自転車で縦断してるんよ」と木村さん。何者ですか。

「日本は良い所だね、私は大好きなんだ」と話すハーフィスさん。ウチの店(京町家)が珍しいようで、様々な質問をされた。坪庭の事、葭簀(よしず)や障子戸の事、灯篭や廊下の事などなど。木村さんに英語でヘルプをしてもらいつつ、異文化交流は続く。「京都の雰囲気はスイスと重なる所が多いね、伝統的な建物や自然を大事にしたりする所なんかが」、そう言って頂けると嬉しいです。

モノづくりの話。「世界各国を旅して回って、色んなものを見て、色んなものを作ってきたんだ」と聞き、僕はこうやって人とコミュニケーションする事が好きで今の仕事をやってるんですと話した。以前働いていた会社では、机から一歩も動く事が出来ず、毎日閉塞感ばかりが募る日々で。その前の職場は伝統工芸ショップで、毎日色んな作家さんや職人さんが来ては沢山の事を教えて貰ったんです、それが忘れられないんです。流石にこれは木村さんに全部訳して貰ったんだけれども、「シュウヘイ、それはとても大切な事だよ、コミュニケーションから作品は生まれるんだ」とハーフィスさんは真剣な表情で話してくれた。

小一時間くらい3人で談笑し、木村さんたちは平安神宮へ旅立って行った。「いやね、ハーフィスさんを宮澤さんに会わせたかったのよ、絶対話が合うと思ってね」と木村さん。「来年、必ずまた来るから」と笑顔でハーフィスさん。僕はホントに友人や仲間に恵まれている。深く深く感謝いたします。

2TBくらいあっという間に

ガサガサと仕事をしながら、合間に写真の整理を行う。RAWで撮影するようになってから、かなりの勢いでHDDのスペースを消費しているので整理がかかせないのだ。要らない写真はバンバン消していかないと、2TBくらいあっという間に吹き飛んでしまう。

二度目の陸上観戦

陸上のMに誘われて、高校陸上の大会へ赴く。約一年振りに、西京極陸上競技場へやってきた。陸上部のマネージャーであるMが「部員が沢山出るから撮影しまくって!」とお願いしてきたのである。

競技開始時間ギリギリに到着した僕、すぐさまスケジュールを受け取り撮影場所を探す。が、これよく見たら3か所同時に競技やったりしてるやん、どうすんの。取り敢えず何処で何をやるかを把握して、運が良ければ全部撮れるかな、という感じで動き回った。

しかし何といっても僕の興味は棒高跳び。こんな機会でも無ければ見られない競技なもんでね。今日は女子の決勝があるという事で、果たしてどれくらい飛ぶモンなんかな、とバーの真ん前に陣取った。どうやら棒高跳びにも右利き左利きがあるらしく、たまに背を向けて飛んでくる選手がいる。

それにしてもまあ、みんなバンバン飛ぶな。折角なので色んな角度から撮影してみた。今日は京都府の高校新記録(3m52)まで飛び出したようで。目の前で観てたけど、高い高い。ちなみに日本国内では4m10が最高記録だそうで。男子は5m41。何食ったらそんな跳べるんよ。

合間にトラックを走る男子800mを撮影。予めユニフォームの色を教えて貰ってるんだけども、同じようなのを着てる他校の選手も居てややこしい事この上ない。特に望遠で追いかけようとする時、間違って全然関係無い子に合わせてしまったりも。ええい、もっと差別化を図ってくれんか。更に1年生に至ってはまだユニフォームが届いておらず、中学時代のユニフォームで出場してるとか。解るかそんなもん。

それに比べて、走り幅跳びはじっくり選手を見られるから間違える事は無い…んだけども、こっちは撮影のタイミング自体が非常に難しい。あと、計測やら何やらで邪魔が多く、綺麗に収めようと思うと運も絡んでくる。祈るような気持ちでシャッターを切る。

素人から見たら泣きそうなくらいの記録を次々と目の当たりにし、ひょっとしていまこの競技場内で一番足が遅いのは僕なんじゃないかという錯覚に陥る。一番遅いは言い過ぎにしても、少なくとも下位5%には入ってるよな。男女共に、みんなムキムキやないか…鍛わってるなあ陸上部。

そんなこんなで観戦を続ける事数時間、顔が焼けてヒリヒリする。次の競技まで小一時間空くという事で、ちょっと隣のわかさスタジアム京都(西京極球場)へ行ってみた。あら、京都成章vs立命館宇治なんて良いカードやってるやないの。バックネット裏へ入り、バッシャバッシャ撮影した。すぐ横には京都外大西の選手がスピードガン構えて分析してる。本格的やなあ。

試合終了まで見届けて、再び陸上競技場へ。大会はクライマックスである4x400mリレーが始まろうとしていた。夕日を背に受けて全力疾走する選手は美しい。Mの友人である棒高跳びのRちゃんも走っていた。メッチャ速いんよね、短距離でも長距離でも負ける自信がある。

スタンドで声を合わせて声援を送る各校の姿も美しかった。広い競技場いっぱいに各校の声援が響き渡る。人間の声って、こんな大きく響き渡るもんなんか。人数で言えば1,000人くらいしか居なかったと思うけれども、目を瞑ったら大観衆が居るかのように錯覚する。ゾクゾクした。

良いよなあ、全力で走って、全力で応援して。インターハイへ行くために、みんな必死になって頑張って。一つの『チーム』の力強さが、これでもかと伝わってくる。自分にもこんな頃、あったっけか。すっかり忘れてたわ、こういうの。

最後まで試合を見届け、荷物を抱えて帰路に就く。良いモンを見させて貰ったと同時に、何とも言えない寂しさも感じた。

恐るべき愛・ハードウェア編

お呼びがかかったので、雨の中、とある秘密基地(という名の個人宅)にお邪魔してきた。既に数名のお客さんが来訪している。「いらっしゃい、まずはこちらのルートを」と笑顔の家主さん。通されたのは、魔窟だった。

おかしい。今まで色んなゲーム好きな人と出会ってきたけれども、プレステ1が6台積んであるお宅にお邪魔したのは初めてだ。てか、何で6台もあるんですか。「いや、全部型番が違うのよ」、えっ。「一部の型番は中身を見ないと解らないのもあってねえ、中古で買っては中を見て、ダブったらまた売って…」、しょっぱなのジャブとしては申し分のないエピソードだ。普通の人ならフィニッシュブロー級のパンチだろう。ちなみに奥のほう、サターンが4種類揃っていた。

「じゃ、こっち座って」と家主さん。目の前に鎮座しますはナムコのスターブレード。写真を見てお分かりの通り、プレステ版では無くアーケード版である。コントローラも純正。事前に伺っていたのでそこまで大きなショックは無かったけれども、5歳の娘さんが華麗に遊んでて噴いた。「これがウチで一番高価なハードだね」、ええ、間違いなく。実は筐体ごと所持していたんだけれども、家の床が抜けそうになった(200kg強?)ので、泣く泣くガワを廃棄したそうで。そのエピソード自体が常軌を逸している。この日一番のRTを頂いたネタだった。

すぐ横にはカプコンの純正筐体であるミニキュートが設置されていた。中身は上記の通りアイレムのアンダーカバーコップス。この筐体どうしたんですか、と尋ねたらあまりにも斜め上のエピソードを聞かせて頂いた。別に非合法でも何でもないんだけれども、書けない。おかしい。

とにかく目に映るもの全てがおかしい。富士通が作った最初で最後のMSXであるFM-X(何とFM-7と繋げられる!)なんかネット上の画像でしか見たこと無かったのに。ファミベのデータレコーダーなんか外箱以外は完全に新品ですよ。PC88、98、X68kにMacなどは言うに及ばず、棚の上には前述のFM-X、東芝のPASOPIA7、SONYのSMC-777、富士通のFM-7とFM-NEW7、SHARPのX1 turbo(色違いで2台)、EPSONの98互換機であるPC-286VG、CASIOとSHARPのポケコンの山、撮影出来てなかったんだけれども足元には日立のS1まで転がっていた。どうなってんのここ。

書籍類も充実。ゲームの説明書や雑誌のオマケなどはファイル10冊分くらいあり、とてもじゃないけど読み切れない。本棚は昔ジュンク堂で見かけた技術書コーナーのようになっている。Oh!シリーズなんてXとMZとPCしか知らんぞ。何だPASOPIAって。何だHitBitって。『アスキー・システム・バンク PC-8801 マシン語入門』まで置いてある。BASICしか知らなかった僕が図書館で出会った、人生最初のマシン語の本だ。当然、全く理解出来なかったんだけどね。今でも理解出来ないと思う。アスキー・システム・バンクの本はどれも輝いて見えたんよなあ。本当に懐かしい。

頭がクラクラするようなハードの海から這い出ると、そこはゲーム機の山だった。無造作に投げ出されたコントローラに目を剥く。さあここに写っているコントローラと周辺機器、どれがどのハードのものか解るかな。6機種全部答えられたらなかなかのものです。

聞いて下さい。僕ね、小さい頃、親にゲーム機を買って貰えなかったんですよ。来る日も来る日もファミコンファミコンって泣き叫んで、「そんなにファミコン好きやったらファミコンと結婚しよし!」ってオカンに怒られる始末だったんですよ。それほどにゲームを渇望していた僕が、今、引いてる。あまりの状況に、言葉が出てこない。ちなみにツインファミコンは7台ありました。書く必要も無いかもしれないけど、WiiUなどの最新機種までバッチリ全部揃ってます。Xbox360は2台あったと思います。

周辺機器の充実ぶりもおかしい。ディスクの3Dシステムは普通として、トップライダー、ドレミッコ、ワイルドガンマンセットにロボット、ジャイロ、スーパースコープetc…特殊コントローラについてはもう数えきれないくらいにあって、いちいち説明していられないレベルだ。ケーブル類に至っては、最早どれが何用なのかすら分からなくなっている…筈なのに、「あ、これ○○用の」とすぐ判別がついてしまう人ばかりの会合となっております。僕が一番凡人です。「そうそう、これRGBモニタ一台余ってるんだけど、要る?」、えっあのどういう事ですか。

お待ちかねのMSXコーナー。リビングにNationalのRGBモニタが2台鎮座してる時点でどうかしてるんだけれども、片方はコンポジットで片方はRGB接続してあって、発色の違いをそのまま見比べる事が出来るという贅沢仕様になっていた。何処の博物館だ。当時、僕はほとんどRGBモニタに接する機会が無かったので、コンポジットの方が見慣れて自然に見える…と呟いたら「ふざけんなー!」と各方面からツッコミが入った。お赦しを。

一頻りゲームを堪能した後は、何と修理大会になってしまった。X68kの外付け5インチFDDをどうにか動かそうとし始めるメンバー。手際良くバラして、テスター片手に通電チェックを行いながら検討しあってる。ソフトだけじゃなくてハードにも強い人らが集まると、こうなってしまうのか。合間にウチのA1STとGTのFDDドライブベルトも交換して貰う。頼もし過ぎる。

で、横では何故かマークIIIでMSXのゲームが動いている。同じZ80をCPUに持つマシンで、仕様的にはほぼ同じとは聞いていたけれども、これどうなってんの。さっぱり解らない。

みんなが黙々と修理を始めて手持無沙汰になったので、再びハードの海へ。何だこれ、見たことも無い巨大な磁気テープが出てきた。これあれか、昔のデータセンターとか銀行とかでガチャッとはめ込んで高速回転してたテープか。更には見たことも無いハードが出てきた。1977年製、PANAFACOM Lkit-16。TK-80の翌年、というか僕が生まれた年じゃないか。これ、キーボードを見てみたら、16進数キー以外にアセンブラ入力用のキーが付いている。出るモン出るモン衝撃的過ぎて、パンチドランカーになってきた。

怪しげなハードも続々登場。これWiiのパチモン、Vii 威力棒じゃないですか、どうやって…「いや、留学生の子が里帰りする時に、ついでに買ってきてって頼んだのよ」「そしたらその子、これ偽物ですよ!って言うんだけど、良いから買ってこいって言ってね」と笑う家主さん。「ちなみに横のエレメカTRONは激レアよ」、どういう取り合わせなんですかこれ。

そしてP6。ついに出会った、憧れのマシン。僕が初めて目にした(と言っても本でだけれども)PCだ。原寸大の印刷物でブラインドタッチの練習をしたのは5歳の時だったろうか。以来、頭の片隅にPC-6001という機種名がずっと残っていたのだ。おじいちゃん、やっと触れたよ、あの頃の最新機種に。

折角なので、P6の特徴でもあるTALK文で何か喋らせてみようと思ったんだけれども、これがどうにも上手くいかない。家主さんも現れて、二人でマニュアルを見ながらあーだこーだ検討し合う。いま、2014年よね。

これ以上ないくらいにハードとソフトを堪能し、そろそろ良い時間になってきたのでお開きとなった。と言っても、今日体験出来たハードは全体の10%にも満たないという恐ろしい事実があるんだけれども。次はお盆くらいに集まって、掃除や整理も兼ねましょうという事になった。では、お疲れ様でした。

と思ったら、最後の最後に超ド級の隠し玉が用意されていた。デコカセである。僕はつい最近までその存在すら知らなかった。コピー対策に独自仕様のカセットテープを使ってやり取りをするという、前代未聞のシステムだ。テープを変えれば別のゲームを動かす事も出来るというメリットもあるのだけれども、テープメディアは消耗品である。この辺りについては、ゲーム保存協会さんの記事に詳しい。「本体の方は、ちょっと修理してみるわー」との事だったので、次回お邪魔した時にはひょっとしたら起動しているかもしれない。

結局丸半日近く異次元空間に滞在し続けた僕。家に帰ってリビングに座った時、ようやく現実が帰ってきた気がした。僕も大概ゲームバカだと思っていたけれども、月とすっぽんとはこういう事を言うんだと痛感させられた一日だった。何回か足を運べば、あの世界にも馴染めるんだろうか。

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