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2013-10

虹の根元を見てしまった

通勤中にデカい虹が見えたので、店の準備もほどほどに見晴らしのいい場所まで走っていった。狐の嫁入り状態の中、レンズを拭いては撮影を繰り返した結果がこちら。事務所に戻ってから気づいたんだけど、河原の土手から虹が生えているように見える。それどころか、よくみたら右上にもうっすら虹が。二重だったのか。この地面から生えてるの、どういう光学現象なんだろう。空から虹を見たらまん丸に見える、ってのを聞いたことがあるんだけども。

祝われてしまったオカン

台風による大雨の中、京都駅のホテルグランヴィアまで出掛けてバイキングをモリモリした。名目はオカンの誕生日という事なんだけれども、お目当ては食いモンである。60歳以上は1,000円引き、誕生日月の人は無料という破格のサービスを誇るル・タンのハロウィン限定バイキング。

これでもかとモリモリしていたら、突如店内にマイケルジャクソンのスリラーが流れる。何ぞ、と思ったらスタッフがハロウィン仮装して客席の子供を急襲していた。お菓子をプレゼントするイベントだったみたいだけども、半分以上の子供が泣いてました。気の毒だけど笑った。貰ったお菓子は大事そうにしてたのがまた可愛い。と、続けざまにトランペットを持ったスタッフが。店内に鳴り響くバースデーソング。ちょっと待て、まさか。

ぎゃああオカンが祝われたああああ。これは恥ずかしい。同年代とか若い子ならともかく、還暦を過ぎたオカンがケーキ片手に祝われるさまはマンガとしか言いようが無い。家族全員大笑いするわ、周りのテーブルの人は写真撮ってくるわ、もうどうにでもなーれ。恥ずかしかった。

料理の方は非常に質が高く、バラエティも豊富で大変美味しゅうございました。どうせならもうちょっと腹を空かせて行きゃ良かったなと後悔。ちなみに飲み物は+1,500円でフリードリンクでした。

植物園で撮影練習

どうもイケてる写真が撮れないので、散歩がてら植物園へ行って撮影の練習をしてきた。うーん、どうも絞りの扱いが適当過ぎるな。この辺り、まだ下手な鉄砲でやってる所があるので、身体で覚えていかんとアカンやね。ついつい絞りを開いてしまうんよねえ、シャッタースピード稼ぎたくて。ISO100で撮るようになってから、余計にその癖が。

途中、池でハスの葉が流れてきたので撮ってみた。今日一番良かった写真。これも狙って、というよりは数撃ちゃで当たった感じだ。もっと身体の一部くらいにならんとアカンよねえ。経験数が足りてないわ。ホントは毎日身体から離さず持ち歩きたいんだけども、重さが。

そう言えば今日は連休の最終日。あちこちに家族連れの姿がある。植物園に入ってから、動物園の方が面白かったかなあ…とちょっと後悔してたけど、なかなかどうして植物園も悪くない。落ち着くわ。

小一時間ほど歩いた後、ついでなので賀茂川を下って猫に会いに行ってきた。まだ暑いから触らせてはくれないだろうけども、先日見に行った時に若頭が居なかったので気になって見にきたのだ。が、今日も若頭は居なかった。何処行ったんやろう。台風とかに巻き込まれてなかったんならええんやけど。あと組長、その寝相はどうかと。最初パッと見て、死んでる…!?って焦ったから。

腰爆発だけはカンベンして下さい

腰が痛い。昨日寝る前からちょっとおかしかったんだけれども、どうも寝違えたか何か、ジワーッと痛い。この痛み方、覚えがある。3年前に喰らったぎっくり腰だ。あの時も、喫茶店に立ってたらどんどん痛くなってきて、気が付いたら立てなくなって、寝転んだら起き上がる事も出来なくなって、あああああ。もう二度と味わいたくない苦しみがフラッシュバックする。カンベン、カンベンと思いながら一日頑張ったが、ホントに幸いにして痛みが増す事は無かった。ここんとこキッチリ運動してストレッチしてるのに、何なんよこの痛みは。やはり僕も若くないのか。

さようなら、二代目代打の神様

最後の、最高のHR。さようなら、二代目代打の神様、桧山進次郎。

甲子園を埋め尽くす真っ赤な集団

ここまで他球団ファンが詰めかけた甲子園、初めて見た。阪神ファン:他球団ファンの割合が9.5:0.5くらいが普通と言っても過言でも無い甲子園。今まで2回、大一番と呼ばれる試合を見に甲子園へ行った事があるんだけども(2002年の巨人優勝決定戦・2005年の日本シリーズ第4戦)、どっちもレフトスタンドの1列くらいしか応援団は居なかったぞ。それだけ今回は広島ファンが熱心なのか。あと、ひょっとしたら阪神ファンが諦めてるとかもあるのかな、大失速したし。

そろそろパンイチ営業を終了したいんですが

延々と続く暑い日、京都も30度を記録。本日、10月11日でございます。今日も事務所でパンイチです。冷房までは行かんかったけども、扇風機無かったらやってられんレベルやぞ。ところどころ秋を感じさせる部分もあるんだけども、目を瞑ってたら9月初旬くらいに感じる。もーホンマに、外出る時どんなカッコしたらええんよ。

距離に差が生まれる謎

体調が良くなったので、またランニングを再開してるんだけれども、ちょくちょくNike+がおかしくなって合計距離がカウントされない。アクティビティで見た合計距離と、ホームの合計距離に差があるってどういう事よ。同じ変数使ってるんじゃないの?10km分がノーカンって結構凹みますぜNikeさん。

大好きな選手たちの引退

今年は思い入れのある選手の引退が多過ぎる。先日の前田も含めて、ホントに寂しい。特に思い入れのある選手を紹介してみる。

東京ヤクルトスワローズ、宮本慎也内野手、背番号6。守備職人と呼ばれ、しぶといバッティングでチームを支え続けたいぶし銀。前田と共に、長く現役を続けて欲しかった名選手だ。強力なリーダーシップを発揮して、オリンピックやWBCなどでキャプテンを務め、NPBの選手会長にもなっている。忘れられないのがWBC2006の準決勝・決勝。神様、仏様、宮本様。

阪神タイガース、桧山進次郎外野手、背番号24。長く続いた暗黒時代の阪神を支えた左打者。八木裕に続く、二代目・代打の神様。二ゴロの山を築いたり、サイクルヒットを放ったり、FA宣言して何処からも連絡が無かったなどネタには事欠かなかったけど、探偵ナイトスクープに出たりと非常に明るい選手で、ここぞと言う時に打ってくれる良い選手だった。2003年の日本シリーズ、4番桧山は燃えたなあ。

埼玉西武ライオンズ、石井一久投手、背番号16。二度の奪三振王を誇る、海を渡った大投手。ヤクルトを経て西武に入団した時は驚いた。近年でもコンスタントに数字を残しており、昨年も10勝をあげていた。飄々とした性格というのは知っていたけれども、こんなに面白い人やったんか。全盛期だった2000年前半はまだ僕が野球を見ておらず、今となっては勿体ない事をしたなと。個人的には、メジャーで投げていた時の印象が強い。

千葉ロッテマリーンズ、小野晋吾投手、背番号29。薮田安彦投手、背番号49。2005年のロッテ日本一に大貢献し、阪神ファンにとっての悪夢とも言える日本シリーズ4タテを喰らわせた投手陣だ。小野投手はBクラスの常連時代から先発としてロッテを支え、薮田投手は2004年から中継ぎとして開花。WBC2006でも厳しい場面をキッチリ抑えた優秀なリリーバーだった。直前までは絶望的な敵だったのが、WBCでは強力な味方になった事に興奮したなあ。

埼玉西武ライオンズ、嶋重宣外野手、背番号42。当初は投手として広島東洋カープに入団したものの、すぐバッターに転向。長く芽が出なかったが、2004年に突如開花して首位打者・最多安打のタイトルを獲得、HRも32本も打ち『赤ゴジラ』と呼ばれた。弱かったカープに突如現れた、遅咲きの大輪。肩を痛めてからは成績が伸びず、残念ながら今年はほとんど試合に出る事も出来なかったので、動画も去年のものを。『夢の4割打者』と呼ばれた時もあった。

中日ドラゴンズ、山崎武司内野手、背番号7。44歳の大ベテラン。世代によって印象に残る時期が変わる(中日→オリックス→楽天→中日)、息の長い選手。セ・パ両リーグでHR王を獲得(特にパでの獲得は39歳と非常に高齢)、いつまで経ってもガキ大将といったキャラクターで多くの人に愛された。失礼ながらオリックス時代を見ている限り、まさかここまでやれるとは思っていなかった。

福岡ソフトバンクホークス、斉藤和巳投手、背番号66。2003年にその存在を知り、日本シリーズなどでケチョンケチョンにやられてからは顔を見るのも嫌だったダイエー・ソフトバンクの絶対的エース。勝率.775を誇り、多くのタイトルを獲得。が、2007年に肩を壊し、以降必死のリハビリを続けるも実らず、引退を決意した。球団ファンを超えて、最も多くの人が復活を願っていた投手だろう。

東京ヤクルトスワローズ、藤本敦士内野手、背番号10。個人的に強い思い入れのある選手だ。2003年、18年振りの阪神優勝時に3割を打ち『恐怖の8番打者』と恐れられたが、翌年入団した鳥谷にポジション(ショート)を追われた試練の人。ひょうきんで逸話に事欠かないキャラクターだったが、ケガと逆境の多い選手人生で、ちょうど僕と同じ36歳という事もあり応援せずにはいられない選手だった。オヤジさんが熱い人で、藤本選手がアテネオリンピックに出た時に泣いて喜んでいたっけ。ヤクルトへFA移籍してからも阪神ファンから暖かく応援され、甲子園での最後の打席ではこれだけの声援を受けた。愛すべき選手だったんですよ。これで2003年の主要打者陣は全員引退した事になるか。今岡・赤星・金本・桧山・アリアス・片岡・矢野・藤本、懐かしい打順だ。モンキー、ホントにお疲れ様でした。

東京日記書き終りました

ようやく、ようやく9月22日の日記を書き終った。全部で9つというグダグダの長さ。仕事を終えた後に必死こいて推敲繰り返して、足りん頭をフル回転させて書きました。もっと文才が欲しい。短くまとめられる文章力が欲しい。ともあれ、残るは23日と24日。22日に比べればずっと気楽な内容の筈。あと少しで日記にも日常が戻ってくる。

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