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大好きな選手たちの引退

  • 2013-10-09 (水) 0:30
  • 野球

今年は思い入れのある選手の引退が多過ぎる。先日の前田も含めて、ホントに寂しい。特に思い入れのある選手を紹介してみる。

東京ヤクルトスワローズ、宮本慎也内野手、背番号6。守備職人と呼ばれ、しぶといバッティングでチームを支え続けたいぶし銀。前田と共に、長く現役を続けて欲しかった名選手だ。強力なリーダーシップを発揮して、オリンピックやWBCなどでキャプテンを務め、NPBの選手会長にもなっている。忘れられないのがWBC2006の準決勝・決勝。神様、仏様、宮本様。

阪神タイガース、桧山進次郎外野手、背番号24。長く続いた暗黒時代の阪神を支えた左打者。八木裕に続く、二代目・代打の神様。二ゴロの山を築いたり、サイクルヒットを放ったり、FA宣言して何処からも連絡が無かったなどネタには事欠かなかったけど、探偵ナイトスクープに出たりと非常に明るい選手で、ここぞと言う時に打ってくれる良い選手だった。2003年の日本シリーズ、4番桧山は燃えたなあ。

埼玉西武ライオンズ、石井一久投手、背番号16。二度の奪三振王を誇る、海を渡った大投手。ヤクルトを経て西武に入団した時は驚いた。近年でもコンスタントに数字を残しており、昨年も10勝をあげていた。飄々とした性格というのは知っていたけれども、こんなに面白い人やったんか。全盛期だった2000年前半はまだ僕が野球を見ておらず、今となっては勿体ない事をしたなと。個人的には、メジャーで投げていた時の印象が強い。

千葉ロッテマリーンズ、小野晋吾投手、背番号29。薮田安彦投手、背番号49。2005年のロッテ日本一に大貢献し、阪神ファンにとっての悪夢とも言える日本シリーズ4タテを喰らわせた投手陣だ。小野投手はBクラスの常連時代から先発としてロッテを支え、薮田投手は2004年から中継ぎとして開花。WBC2006でも厳しい場面をキッチリ抑えた優秀なリリーバーだった。直前までは絶望的な敵だったのが、WBCでは強力な味方になった事に興奮したなあ。

埼玉西武ライオンズ、嶋重宣外野手、背番号42。当初は投手として広島東洋カープに入団したものの、すぐバッターに転向。長く芽が出なかったが、2004年に突如開花して首位打者・最多安打のタイトルを獲得、HRも32本も打ち『赤ゴジラ』と呼ばれた。弱かったカープに突如現れた、遅咲きの大輪。肩を痛めてからは成績が伸びず、残念ながら今年はほとんど試合に出る事も出来なかったので、動画も去年のものを。『夢の4割打者』と呼ばれた時もあった。

中日ドラゴンズ、山崎武司内野手、背番号7。44歳の大ベテラン。世代によって印象に残る時期が変わる(中日→オリックス→楽天→中日)、息の長い選手。セ・パ両リーグでHR王を獲得(特にパでの獲得は39歳と非常に高齢)、いつまで経ってもガキ大将といったキャラクターで多くの人に愛された。失礼ながらオリックス時代を見ている限り、まさかここまでやれるとは思っていなかった。

福岡ソフトバンクホークス、斉藤和巳投手、背番号66。2003年にその存在を知り、日本シリーズなどでケチョンケチョンにやられてからは顔を見るのも嫌だったダイエー・ソフトバンクの絶対的エース。勝率.775を誇り、多くのタイトルを獲得。が、2007年に肩を壊し、以降必死のリハビリを続けるも実らず、引退を決意した。球団ファンを超えて、最も多くの人が復活を願っていた投手だろう。

東京ヤクルトスワローズ、藤本敦士内野手、背番号10。個人的に強い思い入れのある選手だ。2003年、18年振りの阪神優勝時に3割を打ち『恐怖の8番打者』と恐れられたが、翌年入団した鳥谷にポジション(ショート)を追われた試練の人。ひょうきんで逸話に事欠かないキャラクターだったが、ケガと逆境の多い選手人生で、ちょうど僕と同じ36歳という事もあり応援せずにはいられない選手だった。オヤジさんが熱い人で、藤本選手がアテネオリンピックに出た時に泣いて喜んでいたっけ。ヤクルトへFA移籍してからも阪神ファンから暖かく応援され、甲子園での最後の打席ではこれだけの声援を受けた。愛すべき選手だったんですよ。これで2003年の主要打者陣は全員引退した事になるか。今岡・赤星・金本・桧山・アリアス・片岡・矢野・藤本、懐かしい打順だ。モンキー、ホントにお疲れ様でした。

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