- 2014-11-29 (土) 0:30
- 日常
ドット絵で回顧オマージュなゲームが発表された際に30過ぎのオッサンがモヤモヤする場合、大体こういう部分に諸問題があるかと思われます。参考にどうぞ。 pic.twitter.com/YrBDyijbYk
— 大木奈翁 (@ookinasan) 2014, 11月 29
私は中途半端な『8bit風アレンジ』があんまり好きじゃないんだけど、それは『当時その8bit環境は最先端の環境であり、制作者はその制約の中で最高の物を作ろうとしていた』って観点が抜け落ちてることが多いからなのね。
— ゆんゆん探偵 (@yunyundetective) 2014, 11月 29
当時、作ってた人間は最新の環境でも手が届かない表現を夢見て作ってたわけで、それを今8ビット風とか言われてもムカつくだけなんだよね。
— 岩崎啓眞 (@snapwith) 2014, 11月 29
ただこれは、技術側の視点を持たないと、「ファッションとしてはただしょぼいだけになるじゃないか」という話になって、双方不幸になるので、ファッション側の人も、利用するなら技術限界点を知るだけではなく、技術の伝道師たれと願ってしまう
— まかべひろし (@sinpen) 2014, 11月 29
こればっかりは体験してないと解らないと思うんだけども、8bitマシンの表現力ってのは実はかなり手前のほうに限界があって、そこを越える為に先人たちは血の滲むような思いをしてきた訳で。だもんで簡単に8bit風って言われると、当時の人間は全員渋い顔をする訳で。今となっては体験する事も難しいんだけども、この8bit体験ってのはホントに大切だと思ってます。僕はいつまでもここの住人で居たい。
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