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2013-03-22
天谷君、母校に凱旋する
- 2013-03-22 (金)
- 日常
今月、やたらA君こと天谷君絡みのイベントが多い。そのどれもに僕が同行してるってのもかつて無い出来事だ。今月3つ目となるそのイベントは、僕らの母校であるコンピュータ総合学園HAL大阪校の卒業式に参加するというものだ。何度目になるか解らん書き出しで申し訳ないけども、何と、天谷君が卒業式に登壇して話すとか何とか。面白そうだし、久し振りに先生方に挨拶をしたいのもあってお邪魔させて貰った。
卒業式はお昼からという事で、事務所に出勤してからカメラ片手に大阪へ向かう。今日は天谷君のご両親も来られるという事で、一緒に車でこっちへ向かっているそうだが渋滞に巻き込まれたと連絡があった。十二分に時間が余っているので、梅田の32番街で写真を撮りつつ待つ事に。良い景色やけど、空気悪いな。
しばらくして「渋滞を抜けた」との報があり、開場へ向かって歩き出した。卒業式は僕らがやった時と同じ、大阪のザ・シンフォニーホールで開催される。GoogleMapでルートを確認しつつ歩を進め、ふと気がついた。これ、僕らが学生時代に通学してたルートそのものだ。
懐かしいなあ。大阪駅の再開発もあって随分景色は変わったけど、昔のまんまという所も多い。地下道は半分くらいの長さになってたけど、中は相変わらずだった。階段を上がってスカイビルが目に入る、という所で学生時代の色んな記憶が一気に蘇る。画が見える。懐かしい名前がどんどん湧き出てくる。もうそれだけでグッと来た。
旧校舎前(現 大阪医専の校舎)。現在の新校舎は大阪駅のすぐ西にそびえ立っている。ちょうど4年生の時に校舎が移り変わったんだけども、僕はあの奇抜で品の無い校舎より、こっちの校舎のほうが好きだった。北側が窓で埋め尽くされてるんだけども、ここの一番右上が9階のroom 909、つまり僕や天谷君たちのホームルームだった訳だ。ご存知の方も居られるかもしれないが、ウチの屋号はここから貰っている。見ているだけで記憶が溢れかえり、ちょっと大変な事になってきている僕。あの頃まだ、19歳だった。
ようやっと目的地へ到着。そこで待っていたのは、かつて見た事の無いスーツ姿の天谷君だった。センチメンタルな気分は一掃、申し訳ないけど噴いた。いやー、何と言うか、着させられてるというか、七五三というか。サラリーマン時代にもスーツはほとんど来ていなかったそうで、「これ下ろし立てやねん」と。やっぱり七五三か。その横には久し振りにお会いするご両親。地元からここまで車で出てこられたそうで、数時間の長旅お疲れ様でした。そのまま4人でランチへ赴く。
パスタを食いながら、で、今日は何のスピーチやるん?と尋ねたら、「実はスピーチじゃなくて、授賞式らしいんよ…」と一枚の紙を見せてくれた。書かれた表題はBIG HAL大賞。『創立以来の卒業生で構成される「HAL会」が、全卒業生の中から、その年度に最も活躍した卒業生に対して授与する賞』だそうだ。在学中にチラホラ聞いた事があるけど、今年度は天谷君が選ばれたと。賞金50万って書いてある。おわー。スピーチがあるかどうかは、本番になってみないと解らないという謎の段取り。まあ、それならそれで楽しませて貰いますわ。ご両親は学生時代の卒業式に来られなかったとの事で、今日を楽しみにされていたとの事。またと無い、良い機会になりましたね。ちなみにご両親は、僕のブログを日々チェックされているそうです。色々、申し訳ございません…
お昼も済んで、いざシンフォニーホールへ。前まで来てみたら、おー居る居る学生が。僕らの時も、開場まではずっと公園で待機してたんよね。しかしスーツ率が高い。僕らの年なんか、半分くらいしか着てなかったんちゃうかなあ。スイマセン僕ら関係者ですー、と中に入っていくと、今回天谷君に声をかけてくれたS先生が居られた。うわー懐かしいご無沙汰してます、って担任でもないし覚えてないですよね。と、ここで秘密兵器、卒アルの写真を見せてみた。「あー、自分か!」、すぐ解って頂けて光栄です。当時、滅茶苦茶解りやすいカッコしてましたしね。おまけに真っ黒(くろいひと)で。ちなみに天谷君、S先生の事は写真を見るまで思い出せなかったらしい。おおい。担任でない僕でも覚えてたのに。
リハーサルがあるという事で、天谷君は1階席、僕らは保護者向けの2階席に通される事に。エレベータに乗り込もうとしたら、在校生から天谷君に向かって「ご卒業、おめでとうございます!」と声がかかって再度噴いた。ご両親も噴いた。そやね、見た目若いしね天谷君。でもね、僕ら13年前に卒業しててですね。
2階席へ移動。S先生から「BIG HAL大賞受賞者のご家族やから、一番良い席を!」と最前列ド正面の席を用意して貰った。恐縮です、と誘導して貰っているスタッフの横に…KT先生、KT先生じゃないですか!1年生の時に『ビジュアライズ』という視覚表現の授業を担当されており、厳しくもユーモア溢れる指導で尊敬していたKT先生。膨大な数をこなした学生生活だったけど、未だに手元に残してあるのはKT先生のビジュアライズだけだったりする。それくらい、印象深い教科やったんですよ。
ご無沙汰しております、覚えておられないとは思いますが、13年前…と挨拶に行くと、「顔覚えてるよ、13年前で担当してたって言えばM先生のクラスだろ?」「クラスに一人、足の悪い子が居たよね」と。驚いた僕に向かって、「旧校舎の頃だから、サンホセで居残り作業の頃だろ?懐かしいな」「2000年卒業だから、4年の時はI先生やT先生の頃だな」、スラスラ言葉が出てくる。何でそんな覚えてはるんですかという問いに、「そりゃ、もう長いからね」と笑うKT先生。折角なので卒アルの写真を見せたら、「あー、居た居た!」と大笑いしてくれた。誘導の仕事もあるので長話は出来なかったけど、それでもしっかり話が出来て今日一番嬉しい出来事になった。
程無くリハーサルが開始。聞けば本番中は携帯どころかカメラの電源を入れる事もダメなんだそうで、僕とご両親は必死にシャッターを切った。固いなー天谷君。学生時代の頃と変わらん初々しさを放ってるよ。そら卒業おめでとうございます言われるわ。スピーチがあるかないかは本番の時間次第だそうで、やはりぶっつけ。怖いなあ、と思ってたら今度は卒業生がザーッと入ってきてリハーサル開始。やったやった、僕らの時も起立・礼の練習やらされたよ。相当綺麗に揃うまで何度もやらされるんよね。今年の生徒は優秀みたいで、3回でOKが出た。
全体練習の後は個別練習だ。僕らが在籍していたころより学科が細分化されているようで、専攻名を聞いているだけでも面白い。色んな表彰なんかも行われるんだけど、皆勤・精勤の表彰式を見た時にまた当時の事を思い出した。4年間で2時間だけしか欠席しなかった僕。一度目は寝坊だったんだけど、二度目の時、実は朝まで東京に居たんよね。始発ののぞみで帰ってきて。若かったよなあ。
リハーサルが終わったら即卒業式。この辺の切り替え、管理部の先生方やっぱり上手いわ。HALは課題だけじゃなく、礼儀やらも厳しいからね。明かりが落ちて講師登壇、まずは学長の挨拶だ。久しぶりに見たけど、変わってない…いや、よく見てみたら少し背が丸くなって、声も以前ほど張らなくなっている。後で調べてみたんだけども、今年で77歳なのか。それでも精力的に活動をしてるんだから恐ろしい人だ。
話の内容は「経験こそが全てか?」というもの。例えば、何十年と使っている家の階段。毎日使うからイヤというほど知っている筈なのに、「じゃあ、その階段の段数は?」と聞かれたら、答えに窮する人がほとんどだと思う。経験で全てを理解しているように感じていても、実際その気にならなければ解らない事も多い。10年、20年と経験を積んだら一人前になっているのか?『経験=正しい』という思い込みに囚われてはいないか?その間違いは、ユニークさを失う事にも繋がる。歳を食うと、若い子たちと話が合わなくなったりするのはここから来ている。年代の差なんかじゃない、経験に囚われて石頭になっているだけだ。どうか常に新しいものに目を向けて、新鮮な経験を重ねて下さい、と。良い話だ。ちょっと刺さった。
その後、卒業証書の授与や各種賞の表彰などが行われ、いよいよ最後は天谷君の出番を残すのみ。毎度ハプニングを起す天谷君、今日は母校の先輩として良い所を見せられるか注目だ。司会者である某局のアナウンサーが、良い声で彼の名をコールした。
「あ や ま 大輔さん!ご登壇ください!」
隣の席に居たご両親が凍りついていた。それを見て僕も凍りついた。いやまて、これ単に噛んだだけかもしれない。そもそも『天谷』を『あやま(阿山?)』なんて器用に読み間違える事自体おかしいよね。弘法にも筆の誤り、そうよね。
「あ や ま 大輔さんが作られた『洞窟物語』は…」「あ や ま大輔さんから、卒業生の皆様にメッセージを…」
3回言うたぞこの人。最後の一回は盛り上げるために声を張り上げて間違ったぞ。嫌な汗が出て来た。いっそここから叫んで訂正させようかとも思ったけど、色んな人の顔を潰しかねないので自重。もう笑うしかないわな。講師席に座ってるS先生、ちょっと顔が歪んでるように見受けられますが大丈夫でしょうか。こちら大丈夫ではありません。学長から盾と副賞を貰って、結局スピーチする時間はあったようでマイクの前に進んだ天谷君。
「あ ま や 大輔です」
わー、珍しく強い口調で自己紹介したぞ。怖い。怖過ぎる。まあ、すぐ持ち直していつものマイペースになったんですけどね。「洞窟物語を知ってる人、どれくらい居られますか?」との質問には1/3くらいの卒業生が手を挙げていた。ご両親も感嘆の表情で一安心。「在学中は僕も皆勤賞を狙ってたんだけど、入院ばっかりしちゃって」「当時は賞なんか全く縁が無かったんですけど、今こうして表彰されて、お金貰えて嬉しいです」、卒業生バカ受け。「僕一人の力では作り上げられなかったと思います、皆さんも仲間や友人を大切にして下さい」と。いや、何か、スイマセン。
その後、学校長の挨拶、送辞や答辞が行われ、卒業式は無事に終了した。答辞の中にあった、「ほんの数日前に入学したかのような…」という言葉、オッサンになった僕らも同じ気持ちよ。何で僕、保護者席に座ってるんやろうと錯覚するほどに学生時代の気分に戻れたわ。あの4年間、ホントに沢山の出来事があって、沢山の勉強をして、沢山の仲間に恵まれて。それがあったからこその今な訳で。このあと卒業生の皆は飲み会とかやるだろうけど、それが終わったら、皆で集まる事なんてなかなか出来なくなるんよ。しっかり別れを惜しんでね。卒業おめでとう、どうか仲間や友達を大切に。
ホールを出たら、S先生が天谷君とご両親に平謝りしていた。その傍に、今度はKS先生が立ってるじゃないですか。これまた懐かしい。挨拶をして、卒アルを見せると「あー、覚えてる!」と笑うKS先生。「頭にターバン巻いてた子ですよ!」とS先生、違います真っ黒なバンダナです。持って来て良かったわ卒アル写真。先生方と色々話をさせて貰って、「また学校に遊びに来いや」と言って貰えた。この春から新規講師としてHALに入るSさんも居る事だし、是非是非またお邪魔させて貰います。
開場の外は見た事も無い衣服を纏ったモード学園の卒業生で一杯になっていた。そう、この日は朝が大阪医専、昼がHAL、夕方がモード学園の卒業式として1日ホールを使用しているのだ。看板の前で集合写真を撮っておくべきだったなあ。
今日はここで天谷君とお別れとなる。娘さんの迎えの為に、一足早く電車で京都へ戻るのだ。僕はご両親の厚意に甘えて、車で店まで連れて行ってもらう事に。「荷物になるから」と盾を実家に持って帰ってと渡す天谷君。「どうせなら賞金を持って帰りたいんだけど」とお母さん。良い親子です。どうでも良いけどそのカッコ、どっかの現場監督みたいなんやけど。もしくは有野課長か。
そうそう、この盾、プリントが思いっきりズレてるんですけど。最後まで良いオチを付けてくれて有難う。今日は天谷君自体カンペキやったのに、周りがそうさせてくれん日やったね。余談だけども、僕らもカーナビに翻弄されて高速を乗り間違えました。進路方向に『宝塚』って見えて冷や汗が。その後、道中ずっと天谷君の話やゲームの話をさせて貰いました。
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