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hxblog | 909

身近に居たどうでしょう藩士

知り合って7年くらいになるけども、まさかフルートのKさんがどうバカだったとは。それも北海道で開催されたどうでしょう祭に2泊3日で参加する程の藩士っぷり。普段のボサノヴァやってる姿からは程遠い壊れ方をしている。やっぱり僕の周り、変人ばっかりや…

8bit風の落とし穴

こればっかりは体験してないと解らないと思うんだけども、8bitマシンの表現力ってのは実はかなり手前のほうに限界があって、そこを越える為に先人たちは血の滲むような思いをしてきた訳で。だもんで簡単に8bit風って言われると、当時の人間は全員渋い顔をする訳で。今となっては体験する事も難しいんだけども、この8bit体験ってのはホントに大切だと思ってます。僕はいつまでもここの住人で居たい。

それは「何もしていない」には含まれません

預かっていたPCの修理が完了し、お客さんに返却する儀を行った。当初はWindowsのブート中にリセットがかかったり、延々と「Windowsのインストールを完了できませんでした」と表示されたりと絶望的な状況だったんだけども、クリーンインストールし直したら素直に立ち上がってくれた。てっきりHDDが死んだと思ってたんだけどなあ。SMARTやmemchk、あらゆるチェックを走らせたんだけど異常なし。じゃあ一体、どうやって壊れたんだ?普通に使ってて、そんな壊れ方するか?あまりに不思議だったので、状況を再確認させて貰った。

「いや、何となく調子が悪くなったんで、Windowsの復元かけたんですよ、1年前のデータで」

あああああああ…それだ…

若い人こそ投票に行こう

ゾッとするものを見た。いや、お恥ずかしい話、僕も若い頃は選挙をほったらかしてたんだけども、年を食ってからはキチンと行くようにしてます。それにしたってここまでの差があるとはね…

教え子からインタビューを受けまして

教え子である環境デザインのYが来訪。「お願いがあるんやけど」という事で話を聞くと、「インタビューさせてくれへん」と思いがけない言葉が。インタビューて何よ、何を喋れば…「いや、色んな仕事やってる人に話を聞いて、それレポートにしろって大学の課題で」、まさか教え子にインタビューをされる日がやってくるとは思いもしなかった。構わんけど、俺の話、多分マトモやないぞ?

色んな事を質問されながら、少し昔の事を思い出す。そういやあんまり、子どもらに自分自身の話ってした事なかったよなあ。まあ聞けば幻滅するようなダメ人間っぷりやし、語る必要も…と思ったらYがエラく食いついてきた。いやいや、こんな大人になったらアカンよ?もっと真っ当な道を歩いて欲しいんよ自分らには。一見自由なように見えて、若さの切り売りしてるみたいなモンやからね。

一通りインタビューも終わり、今度はYの話を聞く番になった。Yはまだ二十歳なんだけども、かなり落ち着いたというか、渋い発想をする男で、いま考えているデザインを幾つか見せて貰った。なるほど面白いなあ、多分この辺がネックになるやろうから、こういう解決法とかはどう?みたいな話を沢山する。聞けば大学では、あまり自主的にモノづくりをする学生が居らず、刺激を求めていたようだ。ならば来るが良いよ、Granewton Picnicに。

BASICでここまでやれるとは

プチコン、見る度に恐ろしい事になっていってるな。3号になって出来る事が更に増えたみたいだけども、これがBASICで動いてるってんだからホントに失禁モノである。BASICよ?アセンブラでも何でもない、BASICよ?中学生の頃にこれ見てたら、発狂したと思う。

ぼくふりーそざいじゃないです

覇王の所に取材があったそうなんだけれども、何てことをしてくれたんですか。これフランスのテレビの取材でしたよね。僕を一体どうしたいんですか。

結局慰安になってない気が

結局寝られませんでした。敗因は耳栓を忘れた事。オトンと兄の強烈なイビキに、慣れない高級布団。気が付けば辺りは明るくなり、そして豪雨の音が聞こえてきました。参った参った。温泉でのぼせて、夜も眠れず、これ慰安旅行になってないんじゃないか。

朝食と朝湯を頂いて、宿を後にする。駅前にあるお土産屋さんで物色、流石に海産物が多い。結局ご飯の友的な物を買った。正直な所、カニには興味が無いのです。

ここまで来たからにはもう少し散策を、という事で日本海へ。餘部を目指して車は進む。道中、良い感じの海岸を見つけては止め、雨のなか決死の撮影を繰り返した。風に煽られるわレンズは濡れるわ足元滑るわ。それでもやはり、日本海の荒波には魅力がある。思いっきり踏ん張りながら撮り倒した。

餘部に到着。一昨年は家族と、去年はならむらさん達と訪れた餘部鉄橋。上の駅まで登ったのはこれが初めてだ。かなりの高さで風も強い。ここを列車が走ってたのか…今のコンクリート橋脚じゃなくて、あの細い鉄橋だけで…

続いて出石へ向かう。城下町は観光客で一杯だったけど、それ以上に目についたのが出石そばの店の数。どっちを向いても出石そば。折角なので適当な店に入って頂いたんだけども、圧倒的に量が足りなかった。美味しかったんやけどね。カバンの名産地でもある豊岡、様々なカバンを売っていた。謎のプライズもあったよ。

連日朝からあちこち走り回り、流石に疲れが出て来たので帰路に着いた。丹波の道の駅で豆を買い漁り、あとはひたすら京都を目指す。流石に家族全員、車内で轟沈していた。僕も兄に運転を変わって貰ってから轟沈したんだけどね。ようやっと家に辿り着いたのは20時を回った頃だった。来年お邪魔する時こそ、慰安旅行になるよう頑張りたいものだ。

城崎慰安旅行

年に1度の城崎旅行。元はと言えばオカンの退院祝い(事故からの復帰祝い)で始まったんだけども、今回は完全に慰安旅行である。昼前からダラダラ出発、通り道でも何でもないんだけど京大の11月祭にも寄っていった。そういや京大ってちゃんと入った事なかったな。良い機会だから歩き回ろうか。

流石京大、他の大学とは一味違う…というのはこういった看板くらいで、中身はいたって普通の学校祭。行き過ぎた妄想をしていた僕には若干物足りなかったが、どう考えても僕が悪い。一つ収穫があったのが京大マイコン部。Unity製のゲームなどが展示されていて、自由に遊ぶ事が出来た。少し話を伺ったら、何とPLAYISM3周年パーティにも参加していたとの事。世の中狭いやね。

適当に食事を済ませて一路城崎へ。9号線でズドーンだ。休日だから混むかな、という予想は見事に裏切られ、かなりのハイペースで北へ向かう。ちなみに運転は兄と僕の2交代制で、オカンはえびせんを食べ、オトンはイヤホンでラジオを聴きながら鼻歌を歌っている。見事に好き勝手な車内だ。

京都縦貫道から天橋立へ出て、そこから西へ。久美浜まで来て、ようやく海に突き当たった。内陸住まいの人間にとって、海との遭遇はいつもテンションが上がるものだ。と、ここでオカンがまたも寄り道を提案。豪商稲葉本家という観光地があるらしい。その名の通り豪商の家で、明治23年に出来た豪邸なんだとか。

デカい。異常なデカさ。そして綺麗だ。これが個人の邸宅だったって言うんだから恐ろしい。庭も広く、ちょっと前までは綺麗に高揚していたとの事。残念。

いいかげん寄り道し過ぎたので移動を再開、すぐに城崎へ辿り着いた。前回訪ねた時と同じ宿に荷物を置いて、食事の前に早速温泉巡りである。前回見事に茹で上がって床に伏した僕、今回は二の轍を踏まぬ。

結論から言うとのぼせたんですけどね一件目から。温泉街の一番奥にある鴻の湯でのぼせ、フラフラになりながら歩いてたら冷えてきて、駅にほど近い地蔵湯でまたのぼせて。どっちでも何故か脱衣所でオトンに遭遇、7つある温泉で2連続遭遇する確率は1/(7×6)か。どうでも良い事に運を使ってしまった。

で、のぼせてる間に悪い大人がコラった結果がこれですよ。これ単なる身投げじゃないですか。

お食事。こちらの宿は食事が非常に豪勢で、アホみたいに食べるウチの一家には大変評判が良い。鉄板の代わりにクリスタルを使った焼肉が出て驚いたんだけども、これどうやら熱伝導率が良く、保温性も高いとの事。以前は地元の玄武岩プレートを使っていたんだけども、ごく稀に岩が弾けて、天井に当たるほど跳ねた事があったそうな。怖いなそれ。

外回り用の浴衣から普段着に着替え、カメラを持って外に出る。あちこち撮影して回り、ふらっと立ち寄った酒屋さんで寝酒を探していたら「カメラマンさんですか」と店主さんに尋ねられた。「私は生まれてこの方ずっとここに住んでて、珍しさを感じないんですよ」「外からお越しになるお客様には、城崎はどんな風に見えるんですかねえ」と。その気持ち解ります、僕も京都で同じような感覚になってますので。でも、城崎はホントに良い所ですよ。歴史があって、風情があって、静かな賑わいがあって、新鮮で美味しい海産物もあって。こんな所でならカンヅメに遭うのも幸せやろうなと。

歩き回って冷えたので、宿に戻って内湯に入る。先程の酒屋さんで買った、どろっとしたもも酒を頂き布団に入る。普段滅多に寝酒なんてしないんだけども、去年ここの布団で寝られず難儀したのだ。上質過ぎて。さあこれでスンナリ寝られるだろうか。おやすみなさい。

twitterで暗号解読

城崎旅行の途中、夢中で読んだ暗号解読の話。twitter上でリアルタイムに解析されていく様子が興味深い。よくぞこんなの思い付くな…

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