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hxblog | 909

甲子園を埋め尽くす真っ赤な集団

ここまで他球団ファンが詰めかけた甲子園、初めて見た。阪神ファン:他球団ファンの割合が9.5:0.5くらいが普通と言っても過言でも無い甲子園。今まで2回、大一番と呼ばれる試合を見に甲子園へ行った事があるんだけども(2002年の巨人優勝決定戦・2005年の日本シリーズ第4戦)、どっちもレフトスタンドの1列くらいしか応援団は居なかったぞ。それだけ今回は広島ファンが熱心なのか。あと、ひょっとしたら阪神ファンが諦めてるとかもあるのかな、大失速したし。

そろそろパンイチ営業を終了したいんですが

延々と続く暑い日、京都も30度を記録。本日、10月11日でございます。今日も事務所でパンイチです。冷房までは行かんかったけども、扇風機無かったらやってられんレベルやぞ。ところどころ秋を感じさせる部分もあるんだけども、目を瞑ってたら9月初旬くらいに感じる。もーホンマに、外出る時どんなカッコしたらええんよ。

距離に差が生まれる謎

体調が良くなったので、またランニングを再開してるんだけれども、ちょくちょくNike+がおかしくなって合計距離がカウントされない。アクティビティで見た合計距離と、ホームの合計距離に差があるってどういう事よ。同じ変数使ってるんじゃないの?10km分がノーカンって結構凹みますぜNikeさん。

大好きな選手たちの引退

今年は思い入れのある選手の引退が多過ぎる。先日の前田も含めて、ホントに寂しい。特に思い入れのある選手を紹介してみる。

東京ヤクルトスワローズ、宮本慎也内野手、背番号6。守備職人と呼ばれ、しぶといバッティングでチームを支え続けたいぶし銀。前田と共に、長く現役を続けて欲しかった名選手だ。強力なリーダーシップを発揮して、オリンピックやWBCなどでキャプテンを務め、NPBの選手会長にもなっている。忘れられないのがWBC2006の準決勝・決勝。神様、仏様、宮本様。

阪神タイガース、桧山進次郎外野手、背番号24。長く続いた暗黒時代の阪神を支えた左打者。八木裕に続く、二代目・代打の神様。二ゴロの山を築いたり、サイクルヒットを放ったり、FA宣言して何処からも連絡が無かったなどネタには事欠かなかったけど、探偵ナイトスクープに出たりと非常に明るい選手で、ここぞと言う時に打ってくれる良い選手だった。2003年の日本シリーズ、4番桧山は燃えたなあ。

埼玉西武ライオンズ、石井一久投手、背番号16。二度の奪三振王を誇る、海を渡った大投手。ヤクルトを経て西武に入団した時は驚いた。近年でもコンスタントに数字を残しており、昨年も10勝をあげていた。飄々とした性格というのは知っていたけれども、こんなに面白い人やったんか。全盛期だった2000年前半はまだ僕が野球を見ておらず、今となっては勿体ない事をしたなと。個人的には、メジャーで投げていた時の印象が強い。

千葉ロッテマリーンズ、小野晋吾投手、背番号29。薮田安彦投手、背番号49。2005年のロッテ日本一に大貢献し、阪神ファンにとっての悪夢とも言える日本シリーズ4タテを喰らわせた投手陣だ。小野投手はBクラスの常連時代から先発としてロッテを支え、薮田投手は2004年から中継ぎとして開花。WBC2006でも厳しい場面をキッチリ抑えた優秀なリリーバーだった。直前までは絶望的な敵だったのが、WBCでは強力な味方になった事に興奮したなあ。

埼玉西武ライオンズ、嶋重宣外野手、背番号42。当初は投手として広島東洋カープに入団したものの、すぐバッターに転向。長く芽が出なかったが、2004年に突如開花して首位打者・最多安打のタイトルを獲得、HRも32本も打ち『赤ゴジラ』と呼ばれた。弱かったカープに突如現れた、遅咲きの大輪。肩を痛めてからは成績が伸びず、残念ながら今年はほとんど試合に出る事も出来なかったので、動画も去年のものを。『夢の4割打者』と呼ばれた時もあった。

中日ドラゴンズ、山崎武司内野手、背番号7。44歳の大ベテラン。世代によって印象に残る時期が変わる(中日→オリックス→楽天→中日)、息の長い選手。セ・パ両リーグでHR王を獲得(特にパでの獲得は39歳と非常に高齢)、いつまで経ってもガキ大将といったキャラクターで多くの人に愛された。失礼ながらオリックス時代を見ている限り、まさかここまでやれるとは思っていなかった。

福岡ソフトバンクホークス、斉藤和巳投手、背番号66。2003年にその存在を知り、日本シリーズなどでケチョンケチョンにやられてからは顔を見るのも嫌だったダイエー・ソフトバンクの絶対的エース。勝率.775を誇り、多くのタイトルを獲得。が、2007年に肩を壊し、以降必死のリハビリを続けるも実らず、引退を決意した。球団ファンを超えて、最も多くの人が復活を願っていた投手だろう。

東京ヤクルトスワローズ、藤本敦士内野手、背番号10。個人的に強い思い入れのある選手だ。2003年、18年振りの阪神優勝時に3割を打ち『恐怖の8番打者』と恐れられたが、翌年入団した鳥谷にポジション(ショート)を追われた試練の人。ひょうきんで逸話に事欠かないキャラクターだったが、ケガと逆境の多い選手人生で、ちょうど僕と同じ36歳という事もあり応援せずにはいられない選手だった。オヤジさんが熱い人で、藤本選手がアテネオリンピックに出た時に泣いて喜んでいたっけ。ヤクルトへFA移籍してからも阪神ファンから暖かく応援され、甲子園での最後の打席ではこれだけの声援を受けた。愛すべき選手だったんですよ。これで2003年の主要打者陣は全員引退した事になるか。今岡・赤星・金本・桧山・アリアス・片岡・矢野・藤本、懐かしい打順だ。モンキー、ホントにお疲れ様でした。

東京日記書き終りました

ようやく、ようやく9月22日の日記を書き終った。全部で9つというグダグダの長さ。仕事を終えた後に必死こいて推敲繰り返して、足りん頭をフル回転させて書きました。もっと文才が欲しい。短くまとめられる文章力が欲しい。ともあれ、残るは23日と24日。22日に比べればずっと気楽な内容の筈。あと少しで日記にも日常が戻ってくる。

ゼクシャルハラスメントとは

良いですか、世の中にはたくさんの苦しんでいる息子たちが居るんですよ。何かある度ある度にプレッシャーをかけて、一体何が産まれるというのですか。そもそも何かあればとうの昔に果たしているに決まっているじゃないですか。押してはならぬのです。押してはならぬのですよ。

「ウチはこれからもXPです」

言いたい事ははてな民の皆さんが既に言ってたけど、これは無いわな。ただでさえ日本の官庁ってザルなのに、「ウチは特にザルです」って言ってるようなモンで。来年度には何ぞ起こってるかもしれん、じゃなくて、起こってるんやろうなあ。

ただ、中小企業とかってこの辺の事、全く知らなかったり、知っててもどうにも出来ない所もありそうだなと。僕が昔務めてた所は普通に2000が現役で動いてたけど、これでXPまでダメになったら…アナウンス自体は随分前から行われてたんだから、何もせずにほったらかしてるのは自己責任になるんやろうけども。家庭の皆さんも気を付けて。

事故後の最適な対処法とは

痛ましい事故だ。真っ先に思い出したのは、横井軍平さん。ご冥福をお祈りいたします。今回の事故では、中央分離帯に接触して…というパターンだったので、上記の方法では対処しきれなかったんだろうけども、覚えておくにこした事は無い。この場合は発煙筒を焚いて、出来るだけ安全な場所に避難…どうなんだろう、中央分離帯の上って安全なんだろうか。対処法を教えて欲しい。

お祭り、無いの?

インディーゲーム制作チーム・プチデポットさんのメゾン・ド・魔王が本日STEAMから配信される事となり、TLが湧いている。La-Mulanaの時はGreenlightという選挙を勝ち抜いての配信だったんだけれども、メゾン・ド・魔王はGreenlightを受けず、直接STEAMでの配信と言う快挙を達成した国内最初のタイトルである。PLAYISMさんが頑張った(タグ参照)。でも、やはり魅力あるタイトルだからこそだと思う。プチデポットさんおめでとう。

で、当然の如くLa-Mulanaの時のように緊急生放送が行われると思ってたのに、やらないらしい。悪い大人を始め、NIGOROさんもブーブー言う始末。

まあ、毎度何かある度に社屋を荒らされてたら身も持たないと思いますが。でもやっぱ、お祭りだと思うんで。是非毎回やって欲しいなと思ってます。頑張れPLAYISMさん。

さようなら、前田智徳

広島カープ、前田智徳外野手、引退。ついにこの日が来てしまった。NPBの中で一番好きなバッターが。春のデッドボールでヤバいとは思っていたけれども、ついに帰って来ることは無かった。右アキレス腱を断裂、左アキレス腱も痛め、ケガに泣かされ続けるも生涯打率.302、積み重ねた安打数は2,119。天才的な打撃を、もう少しだけ見ていたかった。


僕が野球に興味を持ったのは2003年。ネタスレの宝庫である2chの野球板で前田を知り、発言のユニークさとプレイ時の鋭さのギャップにやられ、以来ファンになった。多くの有力選手がFAや引退で去っていく中、ずっと広島一筋でバットを振り続けた前田。長く続いたBクラス生活でも気を吐き続け、広島の精神的支柱となった前田。天才や侍と呼ばれる事を嫌い、HRを打っても納得がいかなければ首を傾げ、ひたすら理想の打球を追い求めた、孤高の左バッター前田智徳。長い間、本当にお疲れ様でした。

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