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10年経ったら

  • 2014-08-24 (日) 0:30
  • 日常

とうとうこの日がやって来た。10年振り、3度目の舞台の日が。

午前9時に会場入り。荷物を楽屋に置いてホールへ上がると、ステージ上に寝転がる人が。近寄ってみたら、脚本演出をやっている役者のMさんだった。「本番前はこうやって寝転んで、ステージと仲良くするねん」との事。今回、私は舞台には立たんねんけどねと笑うMさん。なるほどそれは良いなと思い、僕も軽く寝転がる。8時間後には、ここで本番が行われるのだ。

ホールの外へ出ると、誰一人欠けることなく子どもとスタッフが集合していた。総じてテンションは高い。鬼ごっこや発声練習、軽いダンスの練習をして身体を温める。どうやら問題は無さそうだ。ここに来て、より一層真剣さを増す子ども達に安心する。まあ、あんまり変わらん子も居るけども。

舞台から客席を見る。こういう光景、なかなか見る機会無いやね。今日ここに立ってお客さんを迎えるのは、1年前まで素人だった16人の子ども達。10年前、20年前に僕らが味わったように、この子たちにとっても今日は忘れられない日になるだろう。

元々、僕らの活動は1993年に始まった。翌年に平安建都1200年を控え、その事業の一環として子ども主体で舞台を作り上げるプロジェクトが発足。50人近くの子どもを集め、まるまる1年間レッスンを行い、1994年に京都会館第二ホールにて公演、大盛況の内に幕を閉じる。これにてプロジェクトは解散、となる筈だった。

「10年経ったら、またやろう」、これは当時の参加者たちから自然と発せられた合言葉だ。10年経ったらまた皆で集まって、舞台を作り上げようと。大抵、こういう話は熱が冷めたり忘れられたりで叶わないものなんだけれども、ここのメンバーは違った。劇を通じて、様々な夢を実現した人間ばかりだったのだ。当時子役だった10数人の大人が中心となり、二期目のプロジェクトが発足。30人近い子どもを集め、再び舞台へと帰ってきた。1年間のレッスンを経て、京都こども文化会館(エンゼルハウス)大ホールにて公演。再び大盛況となる。ちなみに僕はこのプロジェクトが初参加であり、作曲・編曲・音響スタッフ兼指導員として参加した。ブログでちょくちょく出てくる『教え子』とは、この時の子役の事を指している。

そしてまたも発せられた、「10年経ったら、またやろう」。流石に3回目は無いかもな、と思っていたのに実現してしまうのだから恐ろしいものだ。ただ、二期目の子役たちは大半が高校生で、運営や企画などまでは任せられない。三十路となった一期生達が主体となり、三度舞台に舞い戻る事になる。それぞれ抱えるもの・守るものが増えた中、必死に時間を捻出し続けての一年間。集まった子どもたちが小学生オンリーで、10年前とは比べ物にならない位に苦しい一年間だったけれども、どうにか這うようにして3回目の本番へと辿り着いた。子ども達だけではなく、僕ら一期生・二期生にとっても、今日は特別な日となるだろう。写真は自慢の教え子達である陸上のM、英国帰り改め児童福祉のR、役者のN、軽音のMちゃんだ。三期生の面倒を見てる姿なんか、ちょっとグッと来たよオッサンは。今日は来られなかったけど、卓球のY、坂の上のM、ラクロスのK、薬学のT、東京の大学へ行った役者のM、手伝ってくれて有難う。みんな立派に成長したな。

14時過ぎ、ゲネプロも終わり、本番まであと数時間。子ども達の仕上がり具合は悪くない。僕のほうは、ミスを一つ出していた。劇中、なぞなぞが出題されるシーンがあるんだけども、片方のプレーヤーでBGMを再生して片方のプレーヤーでSE(ピンポンピンポンetc)を鳴らさなければならない。このなぞなぞ、実はスタッフしか出題内容を知らないガチなぞなぞなのだ。当然SEを鳴らすタイミングも毎回違う訳で、キチンと舞台を見ていなければならない。その上、次の出題までのインターバルもほとんど無く、トラック停止→次の曲へ移動→トラック再生を繰り返さなければならない。サンプラーがあれば、こんな苦労は…

開場直前、最後の自主トレ。やはりみんな不安なようで、「あの曲かけて!」「もう1回だけやらせて!」と音響卓の僕に声がかかる。オーケーオーケー、時間の許す限り何でも応えてみせよう。出番じゃない子どもたちも出て来て、一緒に踊ってチェックしてあげている姿に再びグッと来る。ずっとおちゃらけてばっかりやったのに、ここに来て大きく成長したな。何故か軽音のMちゃんまで一緒に踊ってたけども、面白いから許す。

17時、ホール開場。事前の予想より遥かに多い来場者数に驚く。先ほどまで降っていた豪雨で厳しいかなと思っていたのに、エントランスはイモ洗い状態だ。嬉しくなって楽屋へ走り状況を伝える。出来るだけ沢山のお客さんの前で演じて欲しいと願っていたスタッフ一同、一気に表情が明るくなった。後はもう、子どもらにブチかまして貰うだけだ。

驚いたのは、わざわざ大阪からすぎむらさん( @tokiwa777 )、滋賀から樹さん( @ARTIFACTS777 )が観に来てくれた事。当日にtwitter上で声をかけたら、ホントに来てくれたのだ。他にもお馬のHちんや声楽のYさんの彼氏さん、更には児童福祉のRのお母さんや坂の上のMのお母さんまで音響卓に挨拶に来て下さった。Rのお母さんとは10年振りに、全く同じシチュエーションで再会した事になる。縁ってホントに有難いものだ。

本番15分前、iPhoneの電源を落とす。が、雨の為、開演は10分押しとなった。つまり25分前か。舞台裏と繋がるインカムを聞きながら息を吐く。10年前は3公演あって、公演ごとに慣れていったんだけれども、今回は何もかもが一発勝負。僕がミスをすれば、子ども達の足を思いっきり引っ張る事になる。集中して、一つずつこなす事だけ考えよう。再度音源の確認を行い、隣に座るプロの音響Wさんと雑談をし、場内に開演5分間のベルが鳴る。暗くなったホール内で舞監さんの合図を待ち、僕の音出しで幕が上がった。

結論から言うと、僕はやらかした。ゲネプロでもやらかした、なぞなぞの部分。どういう訳か、出題音のSEが鳴らなかったのだ。「第2問!」という掛け声の後に入る筈のSEが出ず、一瞬困惑する子どもたち。しかしここで、機転を利かせた小1のBがもう一度「第2問!」とキッカケを出してくれたのだ。僕のSEは間に合い、何事も無かったかのように劇は続いた。まさか小1の子どもに救われようとは。観客席の一番後ろから、念仏を唱えるかのように小声で有難うを連呼する僕。それ以外は一つもミスする事無く、ゲネプロで上手くいかなかった『セリフの始まりに合わせて一気にBGM音量を下げる』も成功。全てが終わった後、ホール外のソファから立ち上がる事が出来なかった。

あとはもう、ね。感動して泣く子は出るわ大人は出るわの大騒ぎ。最後まで踏ん張り続けてくれたダンサーのN夫妻、役者のMさんには本当に頭が上がらない。この3人が居なければ、ここまでの成功を収める事は出来なかった。3人のサポートに集まってくれた沢山のダンサーや役者さんにも大きな拍手を。このご恩は、必ず。

悩みに悩んだ一年だった。自由に動き回れた10年前とは違い、今の僕には店がある。レッスン日である土曜と日曜、僕は必ずカウンターに立たなければならなかった。どうにか午前中だけでもと顔を出したけれども、やはり何もかもが中途半端に。慢性的なスタッフ不足(指導役が固定出来ない)+場の重苦しさがあり、短時間でも盛り上げようと全力で馬鹿をやったり遊んだりと手を尽くしたが、結果として真剣味の薄い、緩い場が出来上がってしまった。子ども達は楽しんでいるようだけれども、これでは意味が無い。自分は一体どうすべきなのか、何度も頭を抱えた。

転機が訪れたのは今年の春、一期生であるダンサーのAちゃんが帰ってきてくれた時だった。旦那さんであり、これまたダンサーのR君(N夫妻)と共に子ども達を鍛え直し、役者のMさんとのタッグで土台を固め始める。子ども達は彼女らを慕い、レッスンを重ねていった。道筋が見え、これで何とかなるという安堵と共に、僕は一つの決断をする。裏方に徹して、子ども達から一歩距離を置こうと考えたのだ。自分から積極的に子供たちへ接するのは止めようと。中途半端な状況の僕が下手に接すれば、恐らく子ども達はまたバランスを崩し緩くなってしまう。ならば出来るだけ前に出ず、フォローに徹する方が良い。

その日を境に、僕と子ども達との関係は変わり始める。カメラマンを務めていた事もあり、自然と距離を開く事が出来たのは幸いだった。毎回付き合っていたランチも、時間が来る前にひっそりと退席する。いつも馬鹿をやって遊んでくれる大人から、ちょっと付き合いの悪い大人へ。子ども達の反応は解りやすいもので、拗ねられたり「ケチ!」なんて言われたりする事もしょっちゅうだった。でも、レッスンを進めていくにつれ、それくらいの距離感が丁度良いんだと実感した。十分に余裕のある環境ならば僕の存在もアクセントになっただろうけども、今回のプロジェクトは常にギリギリの状態だった。僕の出番は少ない方が良い。正直、寂しかったけどね。

一つ、大きな心残りがある。それは今年の3月でプロジェクトから抜けてしまった、小3のTの事だ。ちょうどN夫妻が来る前で、プロジェクトが一番厳しかった時の事。それまで主役級の頑張りでみんなを引っ張ってくれていたTからの退会届。凄まじい衝撃だった。それもこれも、僕らの力が足りなかったからだと思う。本当にごめんな、T。

10年前のように子ども達と深く関われなかった事は残念だけれども、その分頑張ってパンフやチラシを作り、沢山良い写真を撮ってアーカイブしたつもりだ。10年経ったら写真の見え方も変わるかもしれない。
何かを感じて声をかけてくれれば、その時は喜んで話をしようと思う。

このプロジェクトに関わった全ての皆さまに心からの感謝を。1年間、本当にお疲れ様でした。10年経ったら、また会おう。

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